広報・情報紙
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2025/1/5発行
大田区文化芸術情報紙『ART bee HIVE』は、2019年秋から大田区文化振興協会が新しく発行した、地域の文化・芸術情報を盛り込んだ季刊情報紙です。
「BEE HIVE」とは、ハチの巣の意味。
公募で集まった区民記者「みつばち隊」と一緒に、アートな情報を集めて皆様へお届けします!
「+ bee!」では、紙面で紹介しきれなかった情報を掲載していきます。
今も時間を見つけては映画館で「もぎり」*をされている生粋の映画ファンである俳優の片桐はいりさん。大森周辺の商店街でさりげなくお見掛けすることもあります。そんな片桐さんは山王小学校の出身。山王の思い出や映画への想いについて伺いました。
山王のお庭でくつろぐ片桐はいりさん©KAZNIKI
山王小学校出身とお聞きしています。山王の思い出についてお話しください。
「山王といったらマミフラワーデザインスクールさんの岡本太郎先生の塔は忘れられません。あれがなくなったのがすごく寂しい。太陽の塔の青いタイル版みたいでした。」
2002(平成14)年に老朽化や耐震性の問題で、残念ながら解体されました。
「天祖神社があって、岡本太郎先生の塔が見える風景が目に焼き付いています。まさにアートの街・山王というイメージでした。尾﨑士郎記念館や徳富蘇峰の山王草堂記念館、画家の方もたくさん住んでいらっしゃって、クラスにも俳人のお孫さんがいましたね。あそこには作家先生が住んでいるとか、三島由紀夫がどうだとか、そういうのを聞いて育ちました。山王小学校は生徒さんが越境して入ってくるような学校で、芸術や文化に近い学校だと勝手に思っていました。越境入学の方が皆さんアパートをお借りになって、実はそういう家がいたずらっ子のたまり場になっていましたけど(笑)。」
旧マミ会館 写真協力:マミフラワーデザインスクール
特に思い出深い場所はございますか。
「当時のこどもは外で遊んでいたでしょ、基本は神社です。天祖神社とか熊野神社でよく遊んでいました。あと公園もですが、やっぱり空き地が一番の遊び場でしたね。当時は空き地がいっぱいありました。お屋敷が一つ取り壊されると、そこが巨大な空き地になるんです。今は山王公園になっている大森ホテル*の跡地では本当に良く遊びました。」
大森ホテルがあった頃をご存知なのですか。
「私の記憶の中で最初に一番好きだと思ったのは、大森ホテルの赤い提灯というかランタンですね。本当に素敵で、遠い異国に来たような、映画の中に迷い込んだような一角でした。それにドイツ学園*。毎朝、小学校の登校時にドイツのこどもたちがワーッと大勢来て、外国みたいなところに住んでいるんだなと思っていました。古いお屋敷とかもハイカラなお宅がいっぱいありました。」
考古学がお好きだと伺っています。
「お屋敷が解体されると、そこは遺跡です。調査しなくてはいけないので、発掘が始まります。私も発掘に行きましたよ。見学会というか自主的に誰でも参加できるんです。この辺りは日本の考古学発祥の地となっているでしょ。必然的に考古学好きになったんだと思います。小学校の友だちが貝塚の貝をとって来て『返してきなさい』と先生に怒られていたこともありました。発掘もしたし、自分たちで何か埋めたりもしました(笑)。」
大森ホテル 提供:大田区立郷土博物館
映画との出会いについてお話しください。
「小学校の頃から両親と映画館に行っていましたが、夢中になったのは中学生からです。大森の喫茶ルアンの向かいに映画館が3軒あって、その中の一つの大森エイトン劇場で『スター・ウォーズ』*の1作目を観ました。『時計じかけのオレンジ』*を観てこども心に衝撃を受けたのも覚えています。隣の劇場では洋画のポルノぽいものもやっていました。『エマニエル夫人』*のもうちょっとどぎつい映画みたいなの(笑)。」
エンターテインメントからアート系、ソフトポルノまで、幅広いジャンルですね。
「昔は街に映画のポスターが貼ってあったでしょ。だから、エッチぽいものも貼ってある。見ちゃいけないと思いながら、『見てませんよ』みたいにして、こどもたちが通っていたものです。見ないようにしていましたけど、見えてしまうのは仕方ありません(笑)。駅前の住友銀行の辺りの塀にポスターが3つ並んで貼ってあった。当時は映画館で今週何を上映しているかを皆さんご存じだったわけです。今は大森に映画館があるのを知らない人もいるぐらいですから。私の夢はキネカ大森のポスターと看板を大森駅に出すことです。」
中学生になるとお一人で映画館に行くようになったとお聞きしています。
「もう観たくて観たくてしょうがない。学校が終わったら、着替える時もありますが、制服のまま観に行っていました。地元の映画館はもちろん、川崎行ったり五反田行ったり、あちこち行っていました。その頃はまだ名画座*がいっぱいありましたが、お金はあんまりなかったから大変でした。今の若い子に名画座2本立てというと、『え、2本も観られるんですか?』と言われますけどね。」
©KAZNIKI
大学に入られて演劇活動をされるのですが、映画ではなく演劇に行かれたのはなぜですか。
「映画研究会に入りたかったのですが、演劇に行きなさいって言われたんです。役者をやりたかったわけではなくて、8mmとかを撮ったりするのならやらせてもらえるかなと思っていたら、『あなたは顔が大きいから、演劇に向いている』と言われて演劇にいったんです。舞台なんか何の興味もなかったけど、映研に入れてくれないから仕方なくです。演劇部はその時やろうとしていた演目に女子が足りなかったので、『誰でもいいよ』と入れてもらいました。」
大学卒業後すぐに映画出演されています。ご自身が映画に出られてみていかがでしたか。
「ちょっと辛かったです。『コミック雑誌なんかいらない!』(1986)*が初めての映画ですけど、ちゃんとやったのは『ハチ公物語』(1987)*です。毎日毎日、松竹の大船撮影所に通って、衣装をフル装備で支度してずっと待機。それで『今日は出番ありません』という日もありました。ハチ公の家のお手伝いさん役でしたから、『どのカットで写るかわからない。とにかく待っていてもらわないと困る』と、映画とはこういうものだと言われました。それ以来、映画を見ても『どうやって撮ったんだろう。この人は何日待ったんだろう』とか、『これは何カット目のOKなのかな』とか、そんなことを考えてしまう。それが辛くて、映画は出るのはもうやめようと思いました。だから、20代30代の頃はあまり映画に出ていないんです。今となっては後悔ではないですが、いわゆるレジェンドと言われている役者さんに会っておけば良かった、お話を聞いておけば良かったと思いますね。」
©KAZNIKI
映画・映画館の魅力についてお話しください。
「『一番好きな映画は何ですか』と訊かれるのが一番辛い。映画の中身についても好きなんですが、基本的に映画館にいてワチャワチャしているのが一番楽しいんです。コロナ禍の影響から皆さんおウチで映画を観るようになって、しかもスマホで好き放題観られるようになった。映画館なんてわざわざ行かないだろうという流れになりましたが、『いやいや、そんなことないでしょう』と私はずっと信じています。」
映画館ならではの楽しみがあるということですね。
「はい。映画館の良さは大きい画面で、いい音響で、高スペックであるといった問題で語られることが多いですが、私は違うと思っています。『身体が映画館へ行くということを皆さん忘れていませんか』と言いたいです。映画館の闇の中に入って、そこで知らない人と一緒に映画を観る。それはお家やスマホで観るのとは全く別のもの、別の娯楽なんだと思うんですね。同じ作品を観たといって、もちろん同じように語れますよ、同じように語れるけど、体験としては全く違うものだと思います。日常の時間を断つことが一番重要です。一回スマホの電波を切って、映画に集中するという選択をする。時間を映画に捧げることが重要なんです。映画館の暗闇の中の2時間というのを私は大事にしたいなと思います。そこに身体が行っているのが重要なんです。映画を観るとは情報を入れることではなくて、映画の中に自分が入ることなんです。どっちがいいとか悪いとかではない。ディファレントだっていうことです。」
最後に、お正月に観るお勧めの名画をお教えください。
「それはもう「寅さん」*を観てください。私にとってお正月は「寅さん」で開ける感じです。学生時代に映画館でバイトをしていましたが、「寅さん」はもう朝から長蛇の列でした。初詣の人がみんな破魔矢を持って、振袖を着て、そのまま映画を観に来ていました。お正月と言われれば「寅さん」しか思いつかない。お盆とお正月に公開されていましたから、お正月のネタとお盆のネタと半々あります。お正月のものをお選びになって、観ていただくのがいいんじゃないですか。実はお正月三ヶ日に出勤すると、映画館からお年玉を500円もらえたんですよ(笑)。コロナ禍の影響であちこち行けなくて日本で正月過ごした時に、11歳のこどもと一緒に「寅さん」を見ました。私たちはかつてあった景色や暮らしを観るわけです。こどもには観たことのないものですが、どこか知っているみたいな、そんな感じになるみたいです。すごく楽しんでいましたよ。みんなで一緒に笑ったりできるじゃないですか。」
最後に区民の皆さんへメッセージをお願いします。
「今、私は映画館の写真を探しています。エイトンの写真も意外と残っていないんです。池上通りの旧葡萄屋の裏に大森ハリウッドという映画館があったのですが、こちらも写真が残っていない。大鳥神社の酉の市の時にロータリーになるスペースが、昔は円形の映画館だったと伺っています。馬込の方にも何軒かあったそうです。8ミリフィルムやVHSもですが、皆さんが撮っていらっしゃったものが代替わりとかで全部廃棄になってしまうんですね。一旦ちょっと踏みとどまっていただいて、古い街並みが映ったものがないかしらとか見ていただけたら、貴重な資料が出てくるはずです。図書館なりどなたかが区民の皆さんによる古い映像のアーカイブを作っていただけたらいいなと思います。」
撮影協力:BOOKCAFE 本の庭
*もぎり:入場口や受付で、入場券の半券をもぎ取ることから、劇場・映画館などの改札係の俗称。
*大森ホテル:1921(大正10)年もしくは1922(大正11)年開業、1965(昭和40)年頃閉館。バンガロー風の木造洋風2階建てのホテル。
*ドイツ学園: 1904(明治37)年、横浜において開設されたドイツ人学校。1925(大正14)年、大田区山王に移転。1933(昭和8)年、現ジャーマン通り近くに校舎を設立。1991(平成3)年、横浜に移転。
*スター・ウォーズの1作目: 1997年公開のジョージ・ルーカス監督作品『スター・ウォーズ』。
*時計じかけのオレンジ:1971年公開のスタンリー・キューブリック監督作品。アメリカ議会図書館によって「文化的、歴史的、美学的に重要」とみなされ、アメリカ国立フィルム登録簿に保存。
*エマニエル夫人:1974年公開のフランス映画。女性向きソフト・ポルノとして話題になり大ヒット。
*名画座:ロードショー公開を終えた作品や、すぐれた旧作映画を上映する映画館。
*コミック雑誌なんかいらない!:1986年公開の日本の映画。監督・滝田洋二郎、主演・内田裕也。
*ハチ公物語:1987年公開の忠犬ハチ公の生涯を描いた日本映画。
*寅さん:渥美清主演、山田洋次原作・監督(一部作品除く)による映画シリーズ『男はつらいよ』。主人公の愛称から「寅さんシリーズ」と称される。1969(昭和44)年の第1作から2019(令和元年)年までの全50作。
©KAZNIKI
1963年東京生まれ。大学在学中に銀座文化劇場(現シネスイッチ銀座)でもぎりのアルバイトと同時に俳優活動を開始。1986年『コミック雑誌なんかいらない!』(滝田洋二郎監督)で映画デビュー。近年の出演作に、映画『まる』(荻上直子監督)、プライムビデオ『1122いいふうふ』、ディズニープラス『季節のない街』、キネカ大森先付ショートムービー『もぎりさん』シリーズ制作など。著書に『わたしのマトカ』、『グアテマラの弟』、『もぎりよ今夜も有難う』。
JR「大森駅」山王北口より徒歩10分。閑静な住宅地の一角にあるのが1989年にオープンした「山王オーディアム」です。緑あふれるアプローチ、ドーム型の屋根、コンクリート打ち放しの壁に広い窓。いかにも山王の邸宅といった佇まいですが、実は徹底的に音響にこだわった音楽・多目的ホールです。オーナーの武藤富紀子さんと娘さんで支配人である女優の武藤令子*さんにお話を伺いました。
都内とは思えないまるでリゾート地のようなアプローチⒸKAZNIKI
緑の庭の先にはモダンなエントランスⒸKAZNIKI
オーナーの富紀子さんと支配人の令子さんⒸKAZNIKI
ホールの始まりについてお教えください。
富紀子「平成元年の4月17日オープンです。アマチュア音楽家の父がチェロの練習やアンサンブルを楽しむ場所として作りました。父の道楽ですね(笑)。お友だちを呼んで弦楽合奏をしたり、知り合いのアーティストの方の演奏会を行ったりと非常に優雅な使い方をしていました。」
令子「最初は本当にサロン形式です。」
富紀子「コンサートは密かにやっていました。皆さんお友だちだったので、個人的な練習の延長ですね。」
主催のイベントはいつからですか。
令子「ここが出来た当初から行なっています。会員向けという形です。何となく音楽家同士のご紹介があったりして出演者が決まっていった感じですね。」
富紀子「全てクローズドでずっとやっていましたので、一般の方に向けて広く公演するようになったのは最近です。父が亡くなってからです。」
令子「2005年からです。主催公演はもちろん、一般公演もオープンにして、ホームページを作って情報発信しています。」
ホールのこだわりについてお教えください。
富紀子「ここを始めた当時は、アンサンブルや弦楽四重奏の音楽会をする場所が本当に少なかった。最初のコンサートは安田健一郎*さんです。ハイドンの弦楽四重奏曲の全曲演奏企画ですね。」
ドーム型の高い天井に、明るく広々としたスペースⒸKAZNIKI
ドーム型の高い天井が特徴的ですね。
富紀子「小ホールで音響を良くするには、天井が高くないといけない。建築家の室伏次郎*先生がいろいろ考えてくださいました。近頃、アンサンブル用の会場も増えましが、まだまだ天井の低いところが多いです。ここが出来た当時は、音楽ホールといっても楽器の扱いもひどかった。うちのピアノはスタインウェイベヒシュタインで、ピアノのために24時間空調と温度管理を稼働していますので状態がとてもいいです。」
現在扱っている公演のジャンルについてお教えください。どんな基準で選んでいるのですか。
令子「クラシック音楽がメインですが、ジャズだったり、R&Bの上田正樹さんやシャンソンのクミコさんも歌ってくださっています。音楽劇も行っています。壁を横に使ってロケットが飛んでいく映像を映して楽しかったですね。特に規制はありません。ただ、大音響のロックとかはお断りしています(笑)。」
富紀子「音楽ものは最初の頃は私の独断と偏見で決めていました。今はお話があれば、ご相談ですね。気軽にお声掛けください。」
レイアウトの変形が可能。モダンなホワイエⒸKAZNIKI
主催公演についてお話しください。
富紀子「年に2つか3つですね。基本的にクラシック・コンサートに限っています。他でやったことがないものをやってもらいたい。聞いたことがない音楽をここで聞けたらいいというのがベースです。弦楽四重奏でもデュオにしても、まだまだ世に知られてないのがいっぱいあります。曲もそうだし、作曲家もそうです。それにこだわりずっと選んできました。」
今までで特に印象に残っている公演をお教えください。
富紀子「アンリエット・ピュイグ=ロジェさん*ですね。東京藝術大学の先生で、人前でずっと演奏していなかった方でした。たまたま色んなご縁で、演奏してくださることになりました。ペグさんが弾かれるというので、ホールが人でいっぱいになった。気難しい方でね、周りがみんなピリピリしていました(笑)。当時の音楽家は気難しい方が多かったのですが、ただ音を出してみるとここは響きが良いので気持ち良く演奏していただける。この空間が非常に影響していると思います。」
令子「東日本大震災の後にコンポーザーピアニストの中村天平*さんが被災地で駄目になったピアノを修理して贈る活動をされていました。そのためのチャリティーコンサートを5年間にわたって年に一回のペースで、この場所を提供し行いました。震災の後は『音楽や芸術は何もできない、役に立てない』と思っていましたが、すごくいい経験をさせていただきました。」
山王の魅力についてお話しいただけますか。
富紀子「昔は木がたくさんありましたが、もうあっという間ですね。今、うちにシイノキが何本かかろうじて残っていますが、緑がほとんどなくなってしまいました。とは言え、山王はいいところですよ。基本あんまり変わりがない。昔からの皆さんがそのまま住んでいらっしゃる。ご挨拶をするぐらいですが、顔見知りがいる昔ながらの街です。道が細いから、変わりようがないんでしょうね。住宅地が残っているのはそのおかげです。」
令子「小学校からのお友だちが結婚しても、実家があるので、また戻ってきて地元に結構いらっしゃる。駅でばったり会ったりします。」
今後の展開・展望についてお話しください。
富紀子「地元の方とのお付き合いをもっと深めたいです。」
令子「ここは隠れ家になりすぎていて、意外に近い方でも全然知らない方もいらっしゃる。」
富紀子「むしろそれをよしとしてやってきたから、しょうがない。情報を広げなかった自業自得(笑)。これからは地域の拠点のような場所になればいいと思っています。若い人たちにもっと使って欲しいと思っています。」
令子「若い人たちの発信をサポートできる場でありたいですね。」
富紀子「ただし、ここは本当に効率が悪いんです。駅から遠い、道は細い、場所も分かりにくい。今はもっと便利で使いやすい場所がいっぱいありますよね。」
山王オーディアムは住宅街に突然現れるホールで、緑豊かなお庭もあり、都会とは思えない非日常性がある特別な場所だと思います。
令子「来てくださった方は皆さん気に入ってくださる。ただし、足を運んでもらうまでが大変です。ここは外を使うことも、窓を使うことも出来ます。メアリー・スチュワート*の手紙の朗読劇を公演した時は、庭に棺桶を埋めて本物のブタをつなぎました。門から庭に入って来たところから劇世界を作った。窓を使って外の動きが見えるようにもしました。アーティストの皆さんが思いもよらぬことを提案してくださって、気付かされることが多いです。」
富紀子「特徴あるホールだからこそ、ここでしか出来ない公演・イベントがあると思います。弱点を含めて、それらがプラスに働くものを紹介していきたいですね。」
区民の皆さんにメッセージをお願いします。
令子「街へ出掛けようということでしょうか。散歩したり、区内のイベントに参加したり。街を歩けば、知らないお店とかスポットとか『こんなものが出来たんだ』といった発見があります。お年寄りの方は健康のためにも歩いていただけたらと思います。そして、山王オーディアムにもお越しください。」
*武藤令子:1967年、東京生まれ。桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科卒。『私を抱いてそしてキスして』(1992佐藤純彌監督)、『やじきた道中てれすこ』(2007平山秀幸監督)、『親不孝役者」(2015安達正軌監督)、『さくらになる」(2017大橋隆行監督)など。
*安田謙一郎:1944年東京生まれ。日本のチェロ奏者。チェロを斎藤秀雄、ガスパール・カサド、ピエール・フルニエに師事。
*室伏次郎:1940年東京生まれ。日本の建築家。神奈川大学工学部建築学科名誉教授。 (社団法人)日本建築家協会副会長。
*アンリエット・ピュイグ=ロジェ:1910年コルシカ島生まれ、1992年没。フランスの女性ピアニスト・オルガニスト・作曲家・音楽教育者。パリ音楽院名誉教授。1979年に来日、1991年まで日本で教育と演奏活動を行った。桐朋学園大学名誉客員教授。
*中村天平: 1980年、三重県生まれ。日本の作曲家・ピアニスト。大阪芸術大学芸術学部演奏学科卒。アルバム『TEMPEIZM』(2008)、『RISING SOUL』(2021)など。
*メアリー・スチュワート:1542-1587。スコットランド女王(メアリー1世、在位:1542年-1567年)。廃位ののち国を追われ、エリザベス1世の命によりイングランドで刑死した。
JR京浜東北線「大森駅」山王北西口を出て天祖神社脇の階段を登ると直ぐに現れるのが1962年に創立された「日本初」の本格的な花の学校「マミフラワーデザインスクール」です。総長のマミ川崎さん*によって創設されて以来、フラワーデザインの新しいあり方を提唱し続け、国内と海外に約350の教室を開設し、卒業生は19万人近くを数えます。そんなマミフラワーデザインスクールの1階にあるのがスクール直営のオリジナルショップです。校長の川崎景介*さんと広報の榎本友美さんにお話を伺いました。
暮らしを彩る何かが見つかる楽しい店内
フラワーデザインといけばなの違いは何ですか。
川崎「いけばなは日本の文化の中から生まれ育まれたものです。日本人の精神に根ざした器、水、花。そして、花が器に立てられていることが前提となり、室内に飾られるものです。フラワーデザインは部屋に飾るだけでなくて、花束、コサージュ、男性がスーツの襟ボタンに挿すブートニア、クリスマスなどで飾られるリース、花や葉などを紐状につないでテーブルに置いたり壁に掛けたりするガーランド、最近ではドライフラワーなどを使った花束をぶら下げて飾るスワッグなど、 多種多様な形があります。いけばなは置くものなので基本の場が決められている。フラワーデザインはより幅広い場所に飾ることができて、持ったり身に付けたりもできます。フラワーデザインは時に香りを重視します。例えば花束。鼻(nose)を喜ばせる(gay)ものということで、ノーズゲイといってゼラニウムやミント、ローズマリーなどの身近で手に入るハーブを花束に添えることもあります。創始者であるマミ川崎は『植物だから香ってもいいじゃない。その香りを楽しむことがフラワーデザインの一つの醍醐味なのよ』と話しています。」
マミ先生は今もお元気ですね。
川崎「マミ川崎は93歳になりました。高齢につき毎日、スクールに来ることは叶わないですが、1ヶ月に1回ほどのペースでここに来て創作活動を行っています。車椅子の生活ですが、今でもアシスタントに指示を出しながら作品を作っています。」
花くばり シュロ2枚
花くばり オクラレウカ
マミさんには独自のメソッドがあるとお聞きしています。
川崎「花をいけたりアレンジメントを作る時、デザインの土台にするために、器の中には剣山、吸水性スポンジ、ワイヤーなどをセットして花を挿して作品を作るケースが多い。そこで、日本のいけばなにも学び自然の素材を使って花留め*を作り、そこに花を挿す技法が、1980年代から90年代に、マミフラワーデザインスクールでは実験的に行われてきました。それが『花くばり』です。例えば、ベアグラスという細い平たい葉っぱを編んでネットにし、そこに花を挿していく。吸水性スポンジを使用した作品の場合は隠すことが多い。花留め自体が自然の素材であれば隠す必要がない。花留めそのものがデザインの一部を構成することになります。自然の造形は無限なので、支え方や挿し方も無限です。どのように留めるかという創意工夫が楽しく、好奇心を刺激する。植物の新しい側面を発見することができます。卵の殻でもいいし、ワイヤーの代わりに木の枝を使ってもいい。シュロの葉が2枚あれば、それ自体が器の一部になる。花と花留めのどちらが主役で、どちらが脇役か分からない。すべてが一体化していくのです。」
フラワーデザインとは何でしょうか。
川崎「花を通した情操教育です。それは何かというと、マミ川崎は日頃からこう言っています。『感性を豊かにすることによって、暮らしが豊かになり、幸福になる。例えば今まで気づかなかったものが美しく見え、今まで気にとめなかったものが愛おしく感じられる。それは花の命を通して、また自分が花を媒体として造形物を作ることによって、自分の秘めたる才能を見出し、感性を豊かにすること』なのです。」
単なる技術・テクニックではないということですね。
川崎「卒業生の方からこんなお手紙をいただきます。『私はフラワーデザインを通して花以上のものを学びました。自分の中にこんな秘めたる感性があったなんて知らなかった。物を見る目が変わりました。フラワーデザインを学ぶ前は道の落ち葉に何の関心も払いませんでしたが、今はそれらが綺麗だと感じ、何かに使えないかしらと思ってしまう。暮らしがはるかに豊かになった。家の中も明るくなって、きれいな花だねと家族が言ってくれるようになりました。』まさにこれがフラワーデザインの目指すところです。マミ川崎が言うには『感性を磨けば、その人の一生は間違った方向には行かない。必ず色々な道が開けてくる。フラワーデザイン的生活というのはフラワーデザインをやることだけじゃない。例えば、何かがなくても、その代わりになるものを見つけたりすることができる。臨機応変、これができなくてもこういう方法はあるのではないかとか、そうした自己実現のお手伝いをする。感性が養われると、自分の好きなものがはっきりしてきます。すると、自分に自由があるように、他の人の自由も認めることができる』。」
広報の榎本さん
ショップの開店はいつですか。
榎本「1993年に現在の会館のオープンと同時にショップができました。一般の方が入って自由に見たりお買い物が出来るようになったのはその時からです。」
ショップを始められたきっかけについてお教えください。
榎本「フラワーデザインをより多くの方により身近に感じていただくためです。ショップの中の商品を見ていただき、会館内をご覧になって、フラワーデザインを暮らしの中に取り入れていただけたらと考えています。」
どんな商品を扱っていますか
榎本「花器、ワイヤーや吸水性スポンジ、花束に使うリボンなどの資材を扱っています。ハガキや一筆箋、クリアファイルといったオリジナル商品、スクールの作品集や書籍、それ以外にもショップのスタッフが選んだアクセサリーやストールなどを置いています。」
商品を選ぶ基準をお教えください。
榎本「季節の花を取り入れる時のヒントになるようなもの、1月だったらお正月らしいものといった季節に応じたものを選ぶようにしています。」
ショップのスタッフさんはどういう方がされているのですか。
榎本「スクールの本部講師として活動しているデザイナーです。全員が花の専門家ですので、質問があれば気軽にご相談ください。」
お店のこだわり・コンセプトについてお教えください。
榎本「自由な創造性が湧き出てくるような素材をできるだけ集め、何かを作りたいと思った時に応援できる何か、ここに来ればそれが見つかる、そんなショップになりたいですね。例えば、館内のギャラリーを見ていただいて、ちょっと自分でもやってみたいと思っていただいたら、ショップに来て、『じゃあ、これを買ってみよう』とか、皆さんの創作意欲を刺激できる場でありたいと思っています。」
ミニギャラリーは一般の方も自由に鑑賞できるそうですが、どれくらいの周期で作品を変えていらっしゃるのですか。
榎本「季節に合わせ変えていくのですが、生花ですから花が弱ってきたらすぐに変えていきます。」
ワークショップは行っていますか。
榎本「ショップではありませんが、スクールでどなたでも受けていただける体験レッスンや単発のレッスンも行っています。」
ミニギャラリー
生徒さん以外では、お客さまはどんな方が多いのですか。
榎本「ご近所の主婦の方が多いかなと思います。お散歩途中に、ワンちゃんを連れて入ってこられる方やお子さまといらっしゃる方もいます。散歩がてらにふらっと入っていただければいいですね。気軽に遊びに来てください。いつも花を飾っていますので、お買い物をしなくても自由に見ていただければと思います。ミニギャラリーはもちろん、入ってすぐのところにある待ち受けのデザインも定期的に変わるので是非ご覧ください。ラウンジもありますので、お散歩の途中でちょっと休憩していただければ、嬉しいです。」
地元の方との交流で何か印象深いことはございますか。
榎本「定期的にいらっしゃるお客さまが何名かいらっしゃいます。ここに来ると、いつも何か新しいものが見つかって、暮らしの中に楽しいものが一つ増えるとおっしゃってくださいます。何かが欲しいといらっしゃる方よりも、何かあるかなと探しに来てくださる方が多いです。」
山王の魅力についてお話しください。
榎本「天祖神社の坂を上がったらほとんどお店がないので、辺り一帯は本当に住んでいる方の私生活の場です。坂下の商店街とは雰囲気が全然違うところが私はとても好きです。住宅街ならではの人々の文化、生活している感じが山王の良いとこだと思います。お散歩の途中にここに寄ってくださる方が多いのも、その方の生活の一部になっているなと感じます。」
今後の展開についてお教えください。
榎本「私たちマミフラワーデザインスクールのコンセプトは、『暮らしの中に花を取り入れる』です。暮らしの中に花を飾れば、暮らしがより素敵になる。そんな皆さんの生活のヒントになる場所でありたいと思っています。都会に住んでいると季節感を感じづらいというか忘れがちになってしまう。季節の花を取り入れることで、四季を感じていただけると嬉しいです。季節感があると本当に生活のメリハリがつき、花のある生活を楽しんでいただけます。」
*マミ川崎:北海道出身。1954年、アメリカのミズーリヴァレー大学卒業。帰国後、新聞記者として活動する。1962年、日本で初めてのフラワーデザイン学校「マミフラワーデザインスクール」を創設。以後、半世紀にわたり、日本のフラワーデザイン界の草分けとして、国内外で活躍を続ける。著書『もっと素敵に花がさね』廣済堂出版、『無限の花』講談社、『花のむこうにみえたもの』中央公論新社、『生命の花』講談社。その他多数。
*川崎景介:東京都出身。1989年、アメリカのグレースランド・カレッジ卒業。2008年、倉敷芸術科学大学修士課程修了。2006年より、マミフラワーデザインスクール校長を務める。花にまつわる世界各地の文化を、独自の視点で調査研究する「考花学」を提唱。日本民族藝術学会員。著書『花で読みとく源氏物語』講談社、『花が時をつなぐ-フローラルアートの文化誌-』講談社、『花と人のダンス-読むと幸せになる花文化50話-』講談社エディトリアル。他、監修本多数。
今号で取り上げた冬のアートイベント&アートスポットをご紹介します。ご近所はもちろん、アートを求めてちょっと遠出をしてみてはいかがでしょうか。
最新情報は、各問合せ先にてご確認頂きますようお願い申し上げます。
心象風景をモチーフに描く東さん。岩絵の具や箔を用い最近は版画技法も交えながら制作活動中です。「窓」をテーマにした淡い幻想的な作品をぜひご覧ください。
日時 | 1月11日(土)~19日(日) ※1月15日(水)休廊 12:00-18:00 ※最終日は17:00まで |
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場所 | Luft+alt (東京都大田区山王1-31-11 弓削多ビル2F) |
料金 | 入場無料 |
問合せ |
Luft+alt |
光と闇のステージアート。
海外でも活躍中のパフォーマンスカンパニー「to R mansion」が描く、視覚的効果で不思議いっぱい、ユーモアたっぷりなアンデルセン原作の童話の世界をお届けします。0歳から入場可能!
日時 | 2月16日(日)①11:30開演、②15:00開演 |
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場所 | 大田区民プラザ 大ホール |
料金 | 一般3,500円、中学生以下1,500円 ※3歳以上要チケット。0~2歳は1名までひざ上鑑賞無料。但し、椅子を利用する場合は有料。 |
主催・問合せ | (公財)大田区文化振興協会 03-3750-1555(10:00-19:00) |
公益財団法人大田区文化振興協会 文化芸術振興課 広報・広聴担当