広報・情報紙
本ウェブサイト(以下「本サイト」といいます)では、お客様の本サイトの利用の向上、アクセス履歴に基づく広告、本サイトの利用状況の把握等の目的で、クッキー、タグ等の技術を使用します。「同意する」ボタンや本サイトをクリックすることで、上記の目的のためにクッキーを使用すること、また、皆様のデータを提携先や委託先と共有することに同意いただいたものとみなします。個人情報の取扱いについては、大田区文化振興協会プライバシーポリシーをご参照ください。
広報・情報紙
2019/10/1発行
大田区文化芸術情報紙『ART bee HIVE』は、2019年秋から大田区文化振興協会が新しく発行した、地域の文化・芸術情報を盛り込んだ季刊情報紙です。
「BEE HIVE」とは、ハチの巣の意味。
公募で集まった区民記者「みつばち隊」6名と一緒に、アートな情報を集めて皆様へお届けします!
「+ bee!」では、紙面で紹介しきれなかった情報を掲載していきます。
アートとは、主体として生きること みんなが “アーティスト” な社会に
2004年、20代半ばで家業の建設・ビル会社に入社して以降、まちづくりや文化事業、社会事業に携わってきた田中さん。多摩川エリアの駅や公園といった公共空間を現代アートで彩るプロジェクトをはじめ、近年では蒲田東口地区の街路と公共空間の活用を通したエリアマネジメントや、子どもたちにアートを届ける取り組みを行うなど、その活動の場は多岐にわたります。
「アートに関連するプロジェクトでいえば、私の役割はプロデューサー。パートナーはアートディレクターやアーティスト、デザイナーといった各ジャンルの専門家で、企画立案・資金調達・各種折衝等を基軸に、進行管理、広報などにも関わります」
もともとファインアート(※1)やデザインの分野への憧れがあったという田中さんが、初めて第一線で活躍するアーテイストらと活動をともにしたのは、入社間もなくのこと。予備知識こそあっても、まさか自身がその世界に関わり合うようになるとは思いもよらなかったそうです。
「実際に現場で彼らとともに生きて、社会や人間に向き合い、ともに考えること。それが目の前に作品として展開されていくことの醍醐味を味わいました。これはいまも変わりません。そもそも人間の営みには『完成形』というものがありません。ならば、どんなプロジェクトでも、重要なのはその状況に身を置き、関わることではないでしょうか。そこで起こるのは個別的な事柄ですが、それを通して何を感じ、考えるのかというところに普遍性があると思うんです。こうした関わり合い方は、ある種の共同体を運営していく感覚に近いと思っています」
アトリエビル「HUNCH(ハンチ)」
いまは並行してさまざまな活動を行う田中さんにとって、原動力は「現状の“まち”や人間の生活というものが、本当に幸せな方向に向いているのかどうか」だといいます。
「パブリックアートのプロジェクトに関わり始めてからというもの、公共とは何か、芸術は誰のものかという問いが私から離れたことはありません。たとえばいま、蒲田東口地区のエリアマネジメントにも携わっていますが、『街路』というものは人々の生活の場であったはずなのに、いつの間にか交通のためだけの場になり、警察や行政が管理している。そうした場を『公共スペース』と呼んでいますが、果たしてそれは本当に公共と言えるのでしょうか。そもそも、人々がそうした問いを持ち再定義し続ける場こそが、公共スペースなのかもしれません」
一時画伯
公共の場であり、人間の生活の場であるはずの“まち”。田中さんは人間と“まち”の関係、その変容について、大衆文化から一例を挙げ、お話ししてくれました。
「私は音楽も好きなんですが、ある時、気づいたんです。ポップソングから、“まち”の存在が消えたことを。思い浮かべてみてください。日本では、1990年前後まではポップソングの主役は“まち”だったんです。恋愛ソングでの『私とあなた』の話というのは、同時にまちの話でもあった。まちの中に、ほかにも同じような『私』がいっぱいいたということです。まちというのは本来、こうした一つ一つの集まりだと思うんですね。つまり、自分に関わりがある、関わりがないはともかくとして、人々が主体として関連し合い、全体を形成する状態。これを『環世界(※ 2)』といいます。それが90年代に入ると、いつの間にかまちが自分たちにとっての背景、すなわち舞台装置になる。いわば、まちという存在は自分にとっての『対象』になりました。ところが、90年代半ばを過ぎるとその対象すら消え、観察対象は”自分自身”になっていったのです」
多摩川アートラインプロジェクト「東急多摩川線沼部駅」
※当時の様子。現在はありません。
こうした現象について、田中さんは「まちに人が関与できなくなった」ことの表れと考えます。高度な産業資本主義が進んだ現代、人々は安全・快適・便利な都市生活が送れるようになり寿命も伸びた一方で、まちの「環世界の“環”が絶たれてしまった」状態であると。
「いま、人間の営みである、ものごとを生み出す場がまちや生活からなくなりつつあります。無数の人々の人生がまちの物語となり、まちの物語がまた人々の人生と重なるー私は公共スペースが、そうした環世界を取り戻すことを願っています」
※1 芸術の活動や形の概念。大衆芸術に対する純粋芸術という意味がある。
※2 ドイツの生物学者ヤーコプ・ヨハン・フォン・ユクスキュルが唱えた概念。すべての生物は、客観的な世界ではなく、それぞれの種が持つ知覚や価値観で主観的に世界を創造する「環世界」で生きているというもの。(ユクスキュル /クリサート著、日高敏隆ほか訳『生物から見た世界』2005年・岩波文庫)
大田区の空の玄関口・羽田空港に点在する、千住博氏のアート作品。
羽田空港と千住氏のアートとのつながりは、第1ターミナルが開館した1993年から始まります。
開館当初、若手の新進作家のアート作品(彫刻、オブジェ、絵画等)をターミナル内に展示する企画があり、その新進作家の一人が千住氏でした。その後、絵画の寄贈や、1995年に、ヴェネツィア・ビエンナーレの絵画部門で東洋人として初めて名誉賞を受賞するなど、世界的に有名になられたこともあり、2004年、第2ターミナルを建設する際に、アートプロデューサーとして迎え、世界に向けて発信する場として、千住氏が作品を手掛けることになりました。その後、2010年の国際線ターミナルの開館においても作品を手掛けられ、羽田空港では、国内線のみならず、国際線でも千住氏のアート作品が楽しめるようになっています。
第2ターミナルのコンセプトが「海」であることから、作品は「ブルー」をメインに取り入れたものになっています。出発前の旅の高揚感や到着後の安堵感を表現した絵画など、それぞれに千住氏の思いやメッセージが込められています。
千住博「風の渓谷」 国内線第2ターミナル
大空に羽ばたくことは太古からの人々の夢でした。今では普通に飛行機が空を飛びますが、背中に大きな羽根を付けて舞い上がろうとした私たちの遠い先祖たちの想いに心を寄せ、この空港には空や自然にまつわるいくつかの絵を描きました。
体に月の形の角や牙を持っていた動物たちに対し、宇宙との繋がりを感じた旧石器時代の洞窟壁画を描いた人々の想像力を思い、作りました。
千住博「MOOON」 国内線第2ターミナル
途方もない遠いところから光を放つ星々に、人々は神秘を感じ、想像力を育てていたのですが、その感動のようなことも描きたいと思いました。
ここはそんな宇宙の中の奇跡であると感じ、描いた作品でした。
千住博「朝の湖畔」 国内線第2ターミナル
天空を飛びたいと願ったレオナルド・ダ・ヴィンチは「全ての遠景は青に近づく」と言っています。そんなことを思い出しながら、私は青を基調とした作品を制作いたしました。
国内線・国際線ともに数多く点在する千住氏のアート作品。
国内線の作品は、飛行機に乗らなくても作品が見える場所にあります。作品がどこにあるか探しながら空港を訪れてみるのも一つの楽しみ方。見上げないと見つからない場所や、こんなところに!?という場所に設置されている作品や説明書きも!
また、国際線の作品は、保安検査場内エリアの設置になりますので、羽田空港から国外へ出入国する機会には、ぜひ作品を探してみてください。
第2ターミナルの作品については、羽田空港のホームページでもご紹介しています。
羽田空港の担当者は「2020年3月、第2ターミナルが国内線・国際線供用のターミナルとなりますが、日本の空の玄関口として、日本の方だけでなく、外国の方にも、日本の芸術作品を堪能いただき、千住氏の思いやメッセージを感じ取っていただきたいと思います」と思いを寄せてくれました。
羽田空港のアートスポット、ぜひ訪れてみてください。
公益財団法人大田区文化振興協会 文化芸術振興課 広報・広聴担当