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広報・情報紙

大田区文化芸術情報紙『ART bee HIVE』vol.8 + bee!


2021/10/1発行

vol.8 秋号PDF

大田区文化芸術情報紙『ART bee HIVE』は、2019年秋から大田区文化振興協会が新しく発行した、地域の文化・芸術情報を盛り込んだ季刊情報紙です。
「BEE HIVE」とは、ハチの巣の意味。
公募で集まった区民記者「みつばち隊」と一緒に、アートな情報を集めて皆様へお届けします!
「+ bee!」では、紙面で紹介しきれなかった情報を掲載していきます。

特集記事:新たなアート・エリア 大森東 + bee!

アートな場所:Eiko OHARA Gallery・美術家・大原瑩子さん + bee!

アートな人:精神科医/現代アートコレクター 高橋龍太郎さん + bee!

今後の注目EVENT + bee!

特集記事:新たなアート・エリア 大森東 + bee!

大森東は美術史において大変重要なムーブメントが起きた場所
「東京藝術大学博士課程・鈴木萌夏さん(2020年度みつばち隊)」


レントゲン藝術研究所エントランス ※当時の様子。現在はありません。
撮影/黒川未来夫

「大森東」にあった「レントゲン藝術研究所」がどのような施設だったのか

レントゲン藝術研究所は、1991年から1995年まで大森東に存在した現代美術を取り扱う画廊で、京橋に店舗を持つ、古美術と茶道具を扱う池内美術の現代美術部門の支店としてオープンしました。1990年代のアートシーンを象徴するスペースとして知られています。当時、都内最大級(延べ190坪)の広さを持ち、さまざまな若手作家とキュレーターのデビュー展が行なわれました。当時の日本には現代美術を専門にする美術館や画廊は少なく、アーティストたちは発表・活動の場を失っていました。こうした状況のなかで、レントゲン藝術研究所は20代〜30代の若手作家の活動を支持し続けたのです。美術評論家の椹木野衣がキュレーションデビューを果たしたのも、会田誠や八谷和彦が作家としてデビューしたのもレントゲン藝術研究所でした。スペースで発表したアーティストはほかにもヤノベケンジ、小沢剛、小谷元彦、中原浩大、飴屋法水など、現在も活躍している作家が多く、およそ5年のあいだに展覧会が約40回開催されました。常に斬新な企画が話題となり、DJを呼んだイベントや「ワンナイト・エキシビション」と名付けられた一夜だけの新人作家の個展が不定期に開かれ、朝までパーティーが続くようなエネルギッシュな活動が行われました。


展覧会風景:1992年9月4日から11月4日まで開催された「アノーマリー展」の会場風景
撮影/黒川未来夫

「レントゲン藝術研究所」がもたらしたもの

私たちが普段美術に触れる美術館などの施設では、美術史を軸としているため、どうしてもベテラン作家、物故作家の作品を中心に扱わざるを得ません。当時の若手の発表の場といえば、賃料が一週間で十数万円するような銀座を中心とした貸画廊でした。無論、制作費を賄うのに精一杯な若手にそんな財力もなく、貸画廊で個展をするというのは敷居の高いことでした。そんな時、大森東に突如、レントゲン藝術研究所が現れたのです。ディレクターが25歳(当時の画商としては最年少)だったこともあり、同世代の20~30代の若手作家が発表の場を求めてやってきたのです。現在、レントゲン藝術研究所は「伝説」として扱われ、多くの作家がこの場所から世に出て行きました。さらに、そこで行われた展覧会を見た若者たちにも影響を与えています。

私は生まれも育ちも六郷で、大学2年生からレントゲン藝術研究所について調査をしています。現在は東京藝術大学の博士課程に進学し、レントゲン藝術研究所が日本の現代美術に与えた影響について研究しています。美術評論家の椹木野衣氏は1990年代の東京を振り返って「レントゲン藝術研究所という時代」という文章を残しています。それほど、レントゲン藝術研究所は美術に大きな影響を与えました。あまり知られていないことですが、ここ大森東は美術史において大変重要なムーブメントが起きた場所なのです。ここから現代美術の歴史が始まったと言っても過言ではありません。


レントゲン藝術研究所外観 ※当時の様子。現在はありません。
撮影/黒川未来夫

★レントゲン藝術研究に関する資料や記録写真などをお持ちの方がいらっしゃいましたら、情報提供のご協力をお願いいたします。
 情報提供はこちらまで→連絡先:research9166rntg@gmail.com

アートな場所+ bee!

絵を観てくださっている皆さんの目がとても輝いているんです
「Eiko OHARA Gallery・美術家・大原瑩子えいこさん」

旧呑川緑地公園沿いの閑静な住宅街にある1階部分が全面ガラス張りの建物、それがEiko OHARA Galleryです。入り口を中心に右が画廊、左がアトリエになっています。1960年代から活動するアーティスト・大原瑩子さんが運営する個人ギャラリーです。

全面ガラス張りで自然光に溢れ、旧呑川緑地公園の豊かな緑を望む開放的なギャラリー。


光あふれる明るい空間のギャラリー
ⓒKAZNIKI

アートとの出会いは何だったのでしょうか?

「私は広島の尾道で生まれました。尾道はアートが自然にある街なんです。洋画家の小林和作*先生がいらして、尾道のいろいろなところで写生していらした。そんな先生のお姿を子どもの頃から見て育ちました。そして、私の父は写真が好きで、6歳の時に祖父からカメラを買ってもらい、それ以来生涯写真をやっていました。また、私の先祖は根付*彫刻師の光廣*で、母の実家は棟方志功のスポンサーでした。子どもの頃からアートが身近にあったんです。」

ギャラリーを開かれた理由をお教えください。

「偶然なんですよ。私は偶然が多いんです。たまたま家を建て直そうと思っていて、新聞を見ていたら関東財務局が土地を売り出していた。裏に公園もあっていい土地だなと思いました。応募したらありがたいことに当たったんです。それが1998年です。この土地はもともと海苔屋さんの海苔の干場だったらしいです。大森らしくていいでしょう。せっかく広い空間を手に入れたので、ギャラリーをやってみたいなと思いました。それがきっかけです。」

開放的で気持ちの良い空間ですね。

広さ57.2㎡、高さ3.7m、壁面延23㎡、これほどシンプルでゆったりとした空間は東京の他の画廊では味わえないと思います。全面ガラス張りで自然光があふれ、反対側の窓も広く旧呑川緑地公園の豊かな緑を望む開放的なギャラリーです。」

思うがままに。湧いてくるがままに。生命そのものです。

ギャラリーのオープンはいつですか?

「1998年です。中西夏之*先生がこの家を工事中に見に来られて、二人展をやったらいいのではないかとご提案いただきました。中西先生との二人展がこのギャラリーのこけら落としです。中西先生があるギャラリーと専属契約していて他のギャラリーで展覧会が開けないので、「ON展」という名前で行いました。その後2000年に私の個展「絆」を開催しました。ギャラリーの高い天井や広い空間を活かして8番線の針金に日経新聞の広告欄を巻いたものをギャラリー中に張り巡らせました。床や壁にも日経新聞の株式欄をはりつめました。日経新聞の株式欄は全部数字で色がきれいなんですよね(笑)。そこに古い学校のドアと窓を持ってきて、過去・現在・未来へと続く人類の営み、私はもちろん同じ瞬間に生きている地球上の60億人の人々の喜び・悲しみ・怒り・悩みを考えながら制作しました。当時は評判になって会期中600人ほどの方に来ていただきました。残念なのはこの作品はインスタレーション作品だったため、終了後に全部片付けなければいけなかったことです」

大原さんの作品のコンセプトは何でしょうか?

「思うがままに。湧いてくるがままに。生命そのものです。」

写真
ギャラリーのもう一つの空間
ⓒKAZNIKI

ご縁のある方、私が気に入った作家の方にお貸ししています。

大原さん以外の作家さんもこのギャラリーで展覧会をされているのでしょうか。

「大森生まれで大森在住の彫刻家・平林洋ひらばやしようさん。岩手の彫刻家・菅沼緑すがぬまろくさんなど、12回ぐらいですかね。ご縁のある方、私が気に入った作家の方にお貸ししています。頼まれたけど返事していない人も何人かいますけど。」

ギャラリーの今後の予定をお教えください。

「11月1日(月)から大原瑩子の作品とご縁のある方の作品を展示を予定しています。日時や内容など詳細についてはギャラリーまでお問い合わせください。」

アート版の街の野菜ボックスみたいなものです(笑)。

地元の方たちとの交流は何かなさっているんですか?

「去年の5月から、アトリエの外の窓ガラスに銅版画を袋に入れて貼って展示しているんです。それを1枚1000円で、気に入ったのを剥がしてお持ち帰りくださいと、お売りしています。ご近所の方を中心に、今までに(6/28現在)200枚以上も買っていってくださっている。絵は自分で買うものなんです。美術展だと漫然と絵を見てしまいがち。今、版画は全部で43枚貼ってあります。買うとなると、その中からご自分の気にいるものを1枚選ぶでしょ。皆さん選ぶ時は本当に真剣に選んでくださるんです。」


前面ガラス張りの1階部分。窓には袋に入った版画が貼られている
ⓒKAZNIKI

それが絵を買うことのいいところですよね。作品と一対一で対話する。

「そうなんです。それに、買って帰って額に入れてみるとさらによかったと言ってくださる方が多いです。」

自分の部屋に=日常に本物のアートがあると生活は変わりますものね。

「ある時ね、カマキリの作品があったんですよ。それでお年寄りの男性が「自分は宮崎県の出身で宮崎の田舎では8月のお盆にカマキリが先祖の霊を背負って現れると言われている。それで自分たちはカマキリをとても大事にする。だからこのカマキリをください」って。」

個人の思い出とアートがつながるということですね。

「アトリエで仕事をしていると、作品を選んでいる皆さんの顔を窓越しに見ることがあります。絵を観てくださっている方の目がとても輝いているんです。」

地域の方たちとの素晴らしい交流ですね。

「アート版の街の野菜ボックスみたいなものです(笑)。」

 

*小林和作(1888-1974):山口県吉敷郡秋穂町(現・山口市)生まれ。1918年(大正7)、日本画から洋画に転向し、1922年(大正11)、上京して梅原龍三郎・中川一政・林武らの指導を受ける。1934年(昭和9)広島県尾道市に移り住む。以後亡くなるまで40年間尾道にあって創作活動を続ける。勲三等旭日中綬章。

*根付(ねつけ、ねづけ):江戸時代に、煙草入れ、印籠、巾着などを紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた留め具。材料は黒檀などの堅い木や象牙などが多い。細かい彫刻が施され美術品として人気を博す。

*光廣(1810-1875):根付彫刻師として大阪で有名になり、その後尾道に呼ばれ、尾道で活躍した。切磋堂・光廣と書かれた墓は尾道の天寧寺にある。

*中西夏之(1935-2016):東京生まれ。日本の現代美術家。1963年、第15回読売アンデパンダン展に《洗濯バサミは攪拌行動を主張する》を出品、時代を代表する作品となる。同年、高松次郎・赤瀬川原平らと前衛芸術グループ「ハイレッド・センター」を結成。

プロフィール


作品の前に座る大原さん
ⓒKAZNIKI

美術家。1939年広島県尾道生まれ。女子美術大学卒。創元会会員。大田区在住。絵画を始め、版画、彫刻、インスタレーションを制作。1998年より大森でEiko OHARA Galleryを経営。

  • 所在地/東京都大田区大森南4-2-3
  • アクセス/東京モノレール「昭和島駅」西口 徒歩7分。JR「大森駅」東口より京浜急行バス「森ケ崎」行き終点下車 徒歩5分または「大森東5丁目」行き終点下車 徒歩3分
  • 営業時間/13:00~17:00 ※事前予約制。休日はなし。
  • 電話/03-5736-0731

アートな人 + bee!

アートの中心が欧米なのは真実だけど、それをひっくり返したい
「精神科医/現代アートコレクター 高橋龍太郎さん」

大田区蒲田で精神科のクリニックを経営する高橋龍太郎さんは、日本屈指の現代アートコレクター。日本を含め世界中の美術館が1990年代以降の日本の現代アート展を行う際に、高橋龍太郎コレクションの貸し出しなしでは開催できないとまで言われています。2020年には現代アートの振興・普及に貢献したとして、令和2年度文化庁長官表彰を受賞されました。


クリニック待合室には、いくつもの現代アート作品が展示されている

そんな高橋さんのコレクションと近代日本画の巨匠の傑作を同時に観られる美術展がこの秋に開催されます。大田区立龍子記念館コラボレーション企画展「川端龍子 vs. 高橋龍太郎コレクション―会田誠・鴻池朋子・天明屋尚・山口晃―」です。

現代アートは燃えたぎっている

現代アートをコレクションするきっかけは何だったのでしょうか。

「1998年に、草間彌生*さんが30年ぶりのオイル(油彩画)で、しかも代表的な画題であるネット(網目)を描いた新作展を見たことです。1960年代、ニューヨークでハプニング*を行う草間さんは当時の僕にとって女神だった。
もちろん、その後の動向もずっと追っていたわけですが、30年ぶりのオイル作品を見て、自分の中でかつての熱気が一気に蘇ってきたんです。とにかく作品が素晴らしかった。すぐに購入しました。赤いネットの作品『No.27』です。アートのコレクションで興奮した最初の体験でしたね。」

最初の一点で終わらず、続けて収集するようになったのは何故でしょうか。

「もう1人、会田誠*さんという存在があります。1998年にセル画の『巨大フジ隊員VSキングギドラ』を手に入れた。その後に、ニューヨーク上空を零戦が飛ぶ1996年の作品『 紐育空爆之図 にゅうようくくうばくのず 』を購入します。会田と草間という両輪が揃って、コレクションにどんどんドライブがかかっていった感じです。」

会田さんの魅力はなんでしょうか。

「いわゆる現代アートの観念的なアートっぽいアートとは全然違う。技術的にはものすごく高いレベルにある。さらに、描かれた世界が普通のナラティブ(物語的)な内容だけではなく批判精神に富んでいる。それにお遊びとしてのサブカルチャーがくっついているから、これでもかこれでもかというくらい重層化した面白さがあるんです。」

高橋さんにとって、日本の現代アートとはなんでしょうか。

「旧来の日本の絵画シーンは日本画と洋画の二つの世界がある。その中でそれぞれが団体を作り、ある意味で静かなお行儀の良い世界ですね。
一方、現代アートは燃えたぎっている。画題も表現方法も何もかもが決められていない。美術界の秩序とは無縁なはみ出した人たちが自由に表現している世界。エネルギー溢れる刺激が強い作品を求めるのだったら、日本の現代アートを見てほしいと思いますね。」

コレクションされている作品の選定基準をお教えください。

「やはりエッジの効いた強さのある、エネルギーを持った作品が好きです。だいたい作家は一番大きい作品に力を入れて表現する。その個展の一番良い作品を選んでいくと、購入する作品のサイズが必然的にどんどん大きくなっちゃう。部屋に飾るつもりの作品だったらスペースの限界があるから、こんなに長続きはしなかったと思います。逆に飾れない作品ばかりだったから、買い続けているうちにコレクションになったんです。」

写真
お気に入りのコレクション棚の前に立つ高橋さん
ⓒKAZNIKI

日本の現代アートを海外流出させない

日本人作家中心でコレクションする理由はなんでしょうか。

「アートの中心が欧米なのは真実だけど、それをひっくり返したい。楕円のようにもうひとつの中心が日本にある。日本のアート作品をコレクションすることで、どこか日本人に投票するといった思いはあります。」

アートコレクターとはいかなる存在でしょうか。

「僕がコレクションを始めた1990年代は、バブルがはじけて日本中の美術館の購入予算がほとんどなくなった時代です。そんな状況が10年くらい続いた。1995年ぐらいから2005年くらいの間は、ようやく新しい世代の会田誠や山口晃などのすぐれたアーティストたちが出てきたのに、丁寧にコレクションする人がいなかった。もし僕が買っていなかったら、外国の美術館やコレクターに買われてしまったと思っています。
コレクターの美学に公共性があるわけではないですが、美術館が不在の時にコレクターがコレクションすることで、時代のアーカイブ(歴史的記録)を見えるようにする役割は出来ると思っています。高橋龍太郎コレクションは、1990年代以降のコレクションにおいて美術館よりも作品が揃っている。日本の現代アートを海外流出させない役割を少しは果たせたと思っています。」

一般公開することで社会に貢献するという意識はあるのでしょうか。

「いや、社会に貢献するよりも、日頃は大きい作品が倉庫に眠っている。美術展で展示してもらうことで、僕自身が何年ぶりかに出会う絵がいっぱいある。社会貢献より何よりも自分貢献みたいなもので、ありがたいですよ(笑)。
僕もコレクションしている近藤亜樹*さんが創作に悩んでいた美大生の時に高橋龍太郎コレクション展を観て「好きなように描けばいいんだ」とその後どんどん制作できるようになったそうです。「高橋龍太郎コレクションのおかげで今の私があります」と言ってくれている。こんな嬉しいことはないですね。」

写真
自然光あふれるミーティングルーム
ⓒKAZNIKI

革新者同士の戦い

この秋、龍子記念館でコレクション展が行われますが、大田区内では初めてですか。

「大田区内は初めてだと思います。今回の大田区立龍子記念館コラボレーション企画展「川端龍子 vs. 高橋龍太郎コレクション―会田誠・鴻池朋子・天明屋尚・山口晃―」は、高橋龍太郎コレクションの 種子 たね を何らかの形で大田区に残そうという取り組みから出た企画です。
川端龍子と龍子に心酔する現代アート作家たちを並べてみればきっと面白いという話が自然発生的に出てきた。それをどんどん積み上げた結果が今度の展覧会です。」

美術展のコンセプト・特色についてお教えください。

「龍子にはたくさん作品がありますが、今回は選りすぐりの作品が出展されます。そして、それに見合う現代アーティストたちの力強い作品が選ばれています。コラボレーションという意味で見事に決まっているので、倍楽しめるどころか何倍も楽しめるような構成になっていると思います。
川端龍子は日本の画壇の中では破天荒にスケールが大きい作家で、いわゆる画壇に収まる人ではなかった。画壇からはみ出した川端龍子と美術界の秩序からはみ出した現代アーティストという革新者同士の対決ですね(笑)。」

それでは最後に区民の皆さんへのメッセージをお願いします。

「今回の美術展を機に、龍子を突破口に現代アートにまで広がった新しいアート空間を持つ区として、大田区を都内はもちろん日本中にアピールしていってもらいたい。大田区には若手の現代アーティストが多く住んでいます。龍子の後に続く部隊は揃っている。さらに、羽田空港近辺に様々なアート関連の民間の動きが出てきて、世界に広がる翼になっていく気がします。
それらが一体となって大きな動きとして共有できたら、大田区はひと化けもふた化けもするんじゃないかな。高橋龍太郎コレクションもたくさん活用していただいて、大田区を東京のアートの中心にしてもらいたいと思います。」

 

*草間彌生:日本の現代アーティスト。1929年生まれ。幼い頃から幻覚を体験し、網目模様や水玉をモチーフにした絵画を制作し始める。1957年(昭和32)に渡米。絵画や立体作品の制作だけではなくハプニングと称される過激なパフォーマンスを行う。1960年代には「前衛の女王」と呼ばれた。

*ハプニング:1950年代から1970年代前半を中心に展開された、ギャラリーや市街地などで行われる一回性の強いパフォーマンスアートや作品展示などを指す。しばしば事前の許可を取らないゲリラ的活動を行った。

*会田 誠:日本の現代アーティスト。1965年生まれ。絵画のみならず、写真、立体、パフォーマンス、インスタレーション、小説、漫画、都市計画を手掛けるなど、表現領域は国内外多岐にわたる。代表作:『 紐育空爆之図 にゅうようくくうばくのず (戦争画RETURNS)』(1996年)、『ジューサーミキサー』(2001年)、 『灰色の山』(2009-2011年)、『電信柱、カラス、その他』(2012-2013年)など。

*近藤亜樹:日本の現代アーティスト。1987年生まれ。自身の経験や感情を刻み込むように描くことで、記憶と現在、想像の世界を行き来し、エネルギーに溢れる絵画を生み出している。映画制作やミュージシャンとのライブペイント、ホテルの客室での壁画制作など、形式にとらわれない作品発表でも知られる。2015年初監督作品『HIKARI』。

プロフィール

写真
ⓒKAZNIKI

精神科医、医療法人社団こころの会理事長。1946年生まれ。東邦大学医学部卒後、慶応大学精神神経科入局。国際協力事業団の医療専門家としてのペルー派遣、都立荏原病院勤務の後、1990年東京蒲田にタカハシクリニックを開設。15年以上ニッポン放送のテレフォン人生相談の精神科医を担当。令和2年度文化庁長官表彰を受賞。

《公式ホームページ》高橋龍太郎コレクション別ウィンドウ

今後の注目EVENT +bee!

今後の注目EVENT CALENDAR 2021年10~12月

注目EVENT情報につきましては、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、今後中止または延期となる可能性がございます。
最新情報は、各問合せ先にてご確認頂きますようお願い申し上げます。

コラボレーション企画展
「川端龍子vs.高橋龍太郎コレクション-会田誠・鴻池朋子・天明屋尚・山口晃-」


photo:ElenaTyutina

日時 9月4日(土)〜11月7日(日)
9:00-16:30(入館16:00まで)
定休日:月曜(祝日の場合はその翌日)
場所 大田区立龍子記念館
(東京都大田区中央4-2-1)
料金 大人500円、小人250円
※65歳以上(要証明)と6歳未満は無料
主催・問合せ 大田区立龍子記念館

詳細はこちら

OPEN STUDIO 2021

作品画像
OPEN STUDIO 2019 展示会場の様子

日時 10月9日(土)~24日(日)
12:00-17:00(最終日16:00まで)
定休日:なし
場所 ART FACTORY 城南島 4F 多目的ホール
(東京都大田区城南島2-4-10)
料金 無料 ※日時指定予約制
主催・問合せ ART FACTORY 城南島(運営:(株)東横イン元麻布ギャラリー)
03-6684-1045

詳細はこちら

OTAアート・プロジェクト
馬込文士村 空想演劇祭2021 ~演劇公演&トークイベント

作品画像

日時 12月5日(日)
①13:00開演(12:30開場)、②16:00(15:30開場)
場所 大田文化の森 ホール
(東京都大田区中央2-10-1)
料金 全席指定 各回2,000円
主催・問合せ (公財)大田区文化振興協会

詳細はこちら

お問合せ

公益財団法人大田区文化振興協会 文化芸術振興課 広報・広聴担当