山王草堂記念館とは
徳富 蘇峰(とくとみ そほう)
1863-1957
徳富蘇峰は日本最初の総合雑誌「国民之友」を発行、続いて「国民新聞」を創刊した人物です。蘇峰の代表作である『近世日本国民史』は、1918年(大正7)56歳のときに着手され、1952年(昭和27)90歳にして完結しました。全100巻のうち半分以上が大森山王時代に書かれたものです。
蘇峰は1924年(大正13)この地に移り住み、1943年(昭和18)熱海伊豆山に移るまでの間、山王草堂と称して暮らしました。
邸内には、蘇峰の収集した和漢書10万冊におよぶ成簣堂文庫(せいきどうぶんこ)が設けられていました。
山王草堂記念館は、1986年(昭和61)に静岡新聞社から大田区が蘇峰の旧居を譲りうけ、1988年(昭和63)4月に開館しました。
徳富蘇峰とカタルパ
園内にあるカタルパの木は、和名をアメリカキササゲといいます。
蘇峰の生涯の師であり、同志社大学の創立者である新島襄ゆかりの木です。二人の深い師弟愛を象徴する由緒ある木として今も大切に保存され、毎年5、6月には香りの良いベル形の白い花をつけます。
徳富蘇峰略年譜
1863(文久3) | 1月25日(新暦3月14日)、母久子の里、熊本県上益城群杉堂村に誕生。 |
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1876(明治9) | 新聞記者を志して上京。東京英語学校(旧制一高)入学、のち同志社英語学校へ移る。 |
1882(明治15) | 3月19日大江義塾開塾。 |
1884(明治17) | 静子夫人を迎える。 |
1886(明治19) | 「将来之日本」を出版。大江義塾閉鎖、一家を挙げて東京へ移住。 |
1887(明治20) | 民友社を創立し、「国民之友」を発行。蘇峰と号す。 |
1890(明治23) | 「国民新聞」創刊、社長兼主筆となる。 |
1896(明治29) | 深井英五を伴い欧州漫遊、トルストイ訪問。 |
1911(明治44) | 貴族院議員に勅撰。 |
1918(大正7) | 近世日本国民史第一巻寄稿。 |
1924(大正13) | 山王草堂落成。一家ここに移る。 |
1925(大正14) | 帝国学士院会員。 |
1929(昭和4) | 国民新聞社退社。大毎東日(毎日新聞)の社賓となる。 |
1937(昭和12) | 帝国芸術院会員となる。 |
1943(昭和18) | 文化勲章受章、熱海伊豆山晩晴堂に移る。 |
1945(昭和20) | 終戦とともに一切の公職、栄誉を辞退。 |
1952(昭和27) | 国民史第100巻脱稿完結。 |
1954(昭和29) | 水俣市名誉市民、熊本市名誉市民となる。 |
1957(昭和32) | 11月2日熱海伊豆山晩晴堂において逝去。 |