広報・情報紙
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2020/9/1発行
大田区文化芸術情報紙『ART bee HIVE』は、2019年秋から大田区文化振興協会が新しく発行した、地域の文化・芸術情報を盛り込んだ季刊情報紙です。
「BEE HIVE」とは、ハチの巣の意味。
公募で集まった区民記者「みつばち隊」6名と一緒に、アートな情報を集めて皆様へお届けします!
「+ bee!」では、紙面で紹介しきれなかった情報を掲載していきます。
アートな場所:洗足池――「水と風のひかり」現代美術作家 中島崇さん + bee!
かつて「映画の街」と呼ばれた蒲田に、松竹キネマ蒲田撮影所(以下、蒲田撮影所)がオープンして今年でちょうど100年目。これを記念して、この秋開催される蒲田映画祭では様々な特別企画が用意されています。「蒲田はエネルギーが溢れる摩訶不思議な町なんです。そして、この町が賑やかになったのは映画のおかげであり、その源となったのは間違いなく蒲田撮影所です」と話すのは、蒲田映画祭プロデューサー・岡茂光さん。大田観光協会の事務局員として勤める傍ら、2013年の開催初年度より蒲田映画祭の企画・運営を手掛けていらっしゃいます。
©KAZNIKI
蒲田映画祭を立ち上げたきっかけはどのようなものでしたか?
「長年勤めた自動車会社を退職した後、旧知の仲であり蒲田映画祭の実行委員長を務める栗原(栗原洋三さん)に声を掛けられて観光協会に入ったのですが、最初は映画祭をやるつもりなんてありませんでした。そんな中、2011年に大田区産業振興協会が開催したおおた商い(AKINAI)・観光展で、学生時代の先輩でもある俳優の小沢昭一さんが登壇されたんです。元祖・蒲田行進曲と自称するほど蒲田愛の強い方でした。その際、我々に掛けていただいたのが、「蒲田と言えば映画。映画祭をやってほしい。僕も協力するから」という熱心なお言葉。これに端を発して映画祭を開催する運びとなります。残念ながら小沢さんは、映画祭の第一回目となる2013年の前年にお亡くなりになってしまったのですが、劇団文学座の代表だった加藤武さん、脚本家の大西信之さん、TBSラジオの長寿番組『小沢昭一の小沢昭一的こころ』の坂本プロデューサーさんなど、小沢さんに縁のある様々な方が集まってくれたおかげで、第一回目の開催を無事迎えることができました。」
これまで開催された蒲田映画祭を振り返ってみていかがですか?
「たくさんの松竹に縁のある錚々たる方々に出演頂きました。岡田茉莉子さん、香川京子さん、岩下志麻さん、有馬稲子さん、倍賞千恵子さん、杉葉子さん……一緒にトークショーをやらせて頂く機会も多かったのですが、スクリーンの中でしか拝見したことのない大女優さんと、なんで僕が同じ舞台で話しているのだろうって不思議な気持ちでいっぱいでしたね(笑)。皆さん、出演をお願いすると快く引き受けてくださるんですよ。岡田茉莉子さんに出演オファーをした時なんて、「父と(岡田時彦さん)親子二代で松竹にお世話になったから、出ないわけにはいかない」とおっしゃってくれて、その場で快諾。蒲田や松竹が持つブランド力の凄さを、やっていくうちにありありと実感しました。昔をよく知る女優さんや俳優さんに与えた影響力は思っていた以上に大きかったですね。」
今年は蒲田撮影所の開設100周年というメモリアルな年ですが、映画祭としてはどんな内容になるんでしょうか?見所などを教えてください。
「毎年、松竹作品を紹介するということを念頭に入れながら、その時々の時流に沿ったテーマを設け、様々な企画を盛り込むようにしているんです。2015年には戦後70周年ということで戦争関連の映画を集めて展示したり、その年に亡くなった女優・原節子さんの特集を行なったり。去年はオリンピック開催に先駆け、オリンピック関連の特集を行いました。今年はもちろん、蒲田撮影所100周年というのをテーマに掲げる予定ですが、コロナの影響があって毎年力を入れていた展示は行わないことに。それに伴い、当初企画していた内容から少し方向転換して、松竹の原点である無声映画を取り上げることにしました。蒲田に撮影所があった期間って、実は足掛け16年なんですよね。その短い間に約1200本の作品を作っているのですが、その実に9割以上が無声映画。無声映画の黄金時代というのは、蒲田撮影所があった期間とちょうど重なるわけです。」
無声映画の上映に加えて、弁士の方も何人か出演されるそうですね。
「見所は、澤登 翠さんの活弁による『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(小津安二郎監督)。6名の楽団とともに活弁して頂きます。これで100周年を盛り上げようと。さらに、映画にも大田区にも馴染みの深い片桐はいりさんが登壇し、ご自身の大好きな小津安二郎監督と、彼の作品の中で特に好きな『(大人の見る繪本)生れてはみたけれど』を語って頂くことが決まっています。同じ作品を、澤登 翠さんと片桐はいりさんの紹介によって味わうことができるというわけです。あとは、佐々木亜希子さん、山崎バニラさんによる活弁も予定されているので、様々な弁士の紹介によって無声映画を楽しんで頂きたいですね。弁士とは日本だけの文化。落語とか人形浄瑠璃とか講談とか浪曲とか、日本の“語りの文化”があったからこそ生まれてきたものです。全盛期のスター活弁士はその時の総理大臣よりも給料をもらっていたとか。弁士を目当てにくるお客さんが多かったそうですよ。今回の映画祭をきっかけに、弁士や無声映画が注目されるようになれば嬉しいです。」
『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』 撮影合間に出演者と憩う小津安二郎監督 提供:松田集コレクション
岡さんもかなりの映画好きだそうですが、蒲田作品にも造詣が深いのでしょうか?
「蒲田撮影所で撮影された無声映画に関しては、正直あまり触れてきていなかったんです。『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』は知っていましたが。幼少期から映画が大好きでしたが、当時観ていたのは洋画ばかり。小学生・中学生の頃からたくさん観ていましたね。中学2年の頃に、大好きだった女優・ミッツィ・ゲイナーにファンレターを書いて、まさかの本人から返事が来たという自慢の思い出があります(笑)。前職で長く滞在したヨーロッパでは映画のロケ地巡りをよくしていたし、映画への情熱はずっと持ち続けていました。」
昔から映画に携わる仕事がしたかったんですか?
「昔は映画評論家になるのが夢でした。中学生くらいの頃かな。映画関係の仕事に就きたいと漠然と思ったのですが、監督とか脚本家とか、ましてや俳優なんてとんでもない。だけど評論家だったらどうだろう……と無謀にも思い立ったわけです。津村秀夫さんとか、淀川長治さん、荻昌弘さんとか、当時はたくさん映画評論家の方がいましたから。だけど両親に告げたら「どうせ食っていけないから止めなさい」と猛反対されまして、そのうち心が折れてしまいました。それで自動車会社に就職したのですが、それからずいぶんと長い時を経て、巡り巡って映画に関わることができているのは感慨深いです。人生って何が起こるかわからないものですね。映画祭に携わるきっかけを作ってくれた栗原にも、ひっそりと恩義を感じているんですよ(笑)。」
映画の街である蒲田にいらっしゃったのも運命的ですね。
「昨年、遂に映画館の姿が消え、映画の街という印象は薄れていきましたが、日本映画の近代化を促進したのは蒲田撮影所ですし、その後も戦争後、新宿に次いで映画館の数が多かった街は蒲田だったんです。映画のDNAというものはずっとあるのでしょうね。撮影所のあった黄金期頃は映画を作る街として、その後訪れた第二期の黄金期には映画を観る街として有名だったわけです。第三期がいつどのように来るのかわかりませんが、蒲田が映画の街としてもう一度復活してくれたら嬉しいですね。蒲田映画祭がその一助となるよう努めたいです。」
今後の展望や目標を教えてください。
「回を追うごとに、周りから「楽しかった」とか「来年は何やるの?」といったお声を頂く機会が年々増えてきて、地域の映画祭として根付いてきたなと感じます。支えてくださる方々には感謝の気持ちしかありませんね。実は今、コロナの状況下で新たな取り組みを行おうと検討している最中なんです。YouTubeを利用してオンライン映画祭を行うという企画も進んでいて、すでに1つ動画をアップしているんですよ(※取材当時)。今回の映画祭で行われる活弁やトークショーの映像なんかも流せたらと、今各所に交渉中ですのでお楽しみにしてください。ひとつの区切りを迎えた今年以降は、オンラインのような形で時代の流れに沿ったものにシフトしていければと思います。我々の体力が持つ限りは、色々と試行錯誤して頑張りたいと思っています(笑)。あとは、映画に関する施設ができたらいいなと。「キネマ館」みたいなね。小さくてもいいんですよ、そこへ行くと資料や作品が見られて蒲田の歴史に触れることができる、そんな場所があったらと思います。僕自身、映画祭を続けていくにつれて、小沢さんが「蒲田は映画」と言った意味が身に染みて分かりました。蒲田なくして近代映画の発展はなかったと言っても過言ではありません。蒲田が築いた歴史の凄さをぜひ多くの方に知ってほしいですね。」
文:濱安紹子
今からおよそ120年前、映画が活動写真と呼ばれていた時代に登場した弁士は、独特の語りで無声映画に彩りを添える重要な存在でした。しかし、音声付きの映画が登場するとともにその役目を終えることに。現在活躍する弁士は十数名ほどだといいます。今回そんな稀有な存在でありながら、独自のスタイルで幅広い支持を得ている活動写真弁士・山崎バニラさんが蒲田映画祭に登壇。活弁ライブや子供向けのワークショップを開催します。
©KAZNIKI
バニラさんが弁士への第一歩を踏み出したのは20年前のことだそうですね。デビューのきっかけを教えてください。
「2000年の就職氷河期に大学を卒業し、中々就職先が決まらなかった時に見つけたのが、無声映画を上映するシアターレストラン「東京キネマ倶楽部」の座付き弁士募集の記事でした。弁士が何だかよく分からないままオーディションに臨み合格したのがきっかけです。それまで無声映画に触れたこともなかったし知識もゼロ。そんな状態でいきなりステージデビューすることになりました。」
いきなり未知の世界に飛び込んだと。ちなみに、弁士の世界とはどのようなものなのでしょうか? 門下生になって師匠や先輩に教えてもらうという形が一般的なのですか?
「落語などと違って同業者団体がないので、正確な弁士の人数が分からないという事情もありますが、現在は十数名ほどしかいないそうです。昔は弁士になるための免許制度もあったそうですが、現在は特にそのようなものもなく、色々なやり方で活動されている方が多いですね。門下生になる方もいれば、私のようにほぼ独学でスタートする方も。弁士は自分で台本を書くので、話芸としては落語や講談のように脈々と受け継がれているものではないんです。だからスタイルも様々。先人の語りを踏襲しつつ現代人の感覚に寄り添っている方もいれば、主に今の言葉を使いスクリーンにツッコミを入れる方も。私は完全に後者のタイプで、かなり天然培養されたオリジナルの活弁を行っているので、もし今も免許制度があったら、自信がありません(笑)。」
バニラさんといえば、ピアノや大正琴を弾きながら活弁を行う姿が印象的です。
「弾き語りで活弁は史上初と言われていて、今も私だけだと思います。弁士は台本も自分で書かなくてはいけないんですが、早々に挫折してしまって……。実はこっそり、代わりに父に書いてもらったこともあるんですよ。他の弁士さんに「今回の台本、良いね〜」って褒められて、何とも言えない複雑な気持ちでした(笑)。そんな中で思いついたのが、映画音楽を自分で弾くこと! 弾いている間は黙っていられるだろうって。そうして手にしたのが、祖母が通販で買ったのに使わないからとお下がりでくれた大正琴でした。洋画はピアノでの演奏も行っています。」
楽器は元々弾けたのですか?
「母がピアノ教師だったこともあり、ピアノは4歳の頃から習っていました。だけど大正琴は完全に独学。何度かステージで弾いた後、カルチャーセンターに数回通って習ったんですが、先生から「調弦も弾き方もめちゃくちゃ」って驚かれました(笑)。」
その場で映像にあわせて、楽器を弾きながら喋るってすごい技術だと思います。
「人間工学博士の父に、右脳と左脳をいっぺんに使えば弾くことと話すことが両立できるはずだって言われて、子供の頃から暗示にかかりやすかった私は「なるほど!」って素直に納得してしまったんですね。確かに結構高度なことをしているとは思うんですが、他のことは全然器用にできません。車の免許は発車と停止で三回補修となり取得をあきらめました。自転車も乗れないし、水泳も学年ビリだったし(笑)。」
今回出演される蒲田映画祭では、松竹キネマ蒲田撮影所で撮影された映画2作品を活弁していただくそうですね。
「生まれた年から今に至るまでずっと大田区に住んでいるんですが、実はこれまで大田区のイベントには出たことがないんです。特に蒲田映画祭はずっと出演したいと思っていたので、念願が叶ってすごく嬉しいです。松竹キネマ蒲田撮影所は無声映画専門の撮影所だったこともあり、すごく縁を感じています。今回私の活弁でご覧いただくのは、私の好きな斎藤寅次郎監督の、これぞまさしくニッポンのスラップスティック・コメディー! という感じの『子宝騒動』という作品。そしてもう一つ、小津安二郎監督の『突貫小僧』という作品も活弁するのですが、主人公の子供が本当にかわいくて。演じる本名・青木富夫さんは本作をきっかけに芸名を「突貫小僧」に改名し、大スター子役になりました。ちなみに、昨年12月に公開された『カツベン!』(成田凌主演。活動弁士が活躍した時代を舞台にした映画作品)の周防正行監督は、同作も含めてご自身のほとんどの作品に「青木富夫」という役名のキャラクターを登場させていて、全て竹中直人さんが演じてらっしゃるんですよ。」
『突貫小僧』(1929年)おもちゃ映画ミュージアム所 ©KAZNIKI
今年の蒲田映画祭では、他にも様々な弁士の方の出演が決定しています。
「台本、セリフ、演出、語り……全ての要素においてスタイルは様々ですから、たとえ同じ作品でも弁士によって全然違う内容なる可能性もあります。無声映画全盛時代は「映画を聴きに行く」と言っていたくらいなんですよ。特に今年は、例年ご出演されている、活弁界の第一人者・澤登翠先生がなんとオーケストラの生演奏と共演されるそうです。ちなみに今回、澤登先生が活弁される『生れてはみたけれど』(小津安二郎監督)でも突貫小僧君は主演しています。また、佐々木亜希子弁士は斎藤寅次郎監督の別作品を活弁されるそう。どの回もぜひご覧頂きたいですね。」
バニラさんは子ども向けのワークショップも開催されますよね。こちらはどんな内容ですか?
「集まった子どもたちには翌日、私の公演にもご登場いただき、活弁をステージで披露してもらいます。このワークショップ自体、開催するのが約3年ぶり。子どもたちには余裕があれば台本も自由に書いてもらうんですが、思いも寄らないような面白いアレンジをしてくれるので、どんな力作が生まれるのかすごく楽しみです。実は、私にも3歳になる子どもがいるんですが、いつも私がやっていることを真似て、絵本を開いておもちゃのピアノを弾きながら自分で作ったお話を喋ったりしているんですよ!」
将来有望ですね(笑)。お仕事と子育ての両立も大変だと思いますが、今後の展望や目標などお伺いできますか?
「ママさん弁士って戦後初だって言われているんです。実際に大変過ぎて、日々仕事をこなすことに精一杯になってしまいがちですが、やっぱりずっとステージに立っていたいという気持ちは強いですね。蒲田映画祭に呼んで頂いたのを機に、松竹蒲田の歴史を勉強したり、蒲田に関する映画を観たりしたんですが、これがもうすごく面白くて! 私は普段、自分で絵を書いて音楽をつけてナレーションを付けて……というスタイルで活動写真や活弁に纏わる紹介動画『活動写真いまむかし』を披露しているんですが、そういう形で蒲田の歴史に関しても紹介できたらいいですね。大田区が蒲田の文化を盛り上げようとしてくださっているので、活弁文化や無声映画を後世に残していくために今後もご一緒できたら嬉しいです。弁士って演者であり演出家という特殊な立ち位置で、舞台の中央ではなく端に構える職業。主役はあくまで無声映画です。現代の弁士は当時の時代背景なども調べる必要があり、芸人でありながら、研究者気質の人が多い気がします。話芸を志すだけでなく、何より無声映画そのものが大好きなんです。いつの間にか弁士の存在を忘れてスクリーンに引きこまれてしまう、そんな不思議なエンターテインメントをぜひ多くの人に堪能してもらいたいですね。」
文:濱安紹子
©KAZNIKI
活動写真弁士。2001年、無声映画シアターレストラン「東京キネマ倶楽部」座付き弁士としてデビュー。“ヘリウムボイス”と呼ばれる独特の声と、大正琴とピアノを弾き語る独自の芸風を確立。2019年公開、周防正行監督『カツベン!』に出演。声優としてもアニメ『ドラえもん』ジャイ子役他出演作多数。
いつもと違った目線で見るきっかけになってくれれば
大田区民の憩いの場であり、区を代表する名所・史跡でもある洗足池。その洗足池で、この秋、OTAアートプロジェクト《マチニエヲカク*1》の一環として、現代美術作家・中島崇さんによるアートプログラム「水と風のひかり Water & Wind Lights」が行われます。中島さんに今回の作品およびプロジェクトの場である洗足池について、さらには大田区についてお話しをお伺いしました。
©KAZNIKI
大田区のご出身ですよね。
「はい、大田区南千束です。洗足池小学校の出身で、洗足池は小さい頃から遊びに来ています。生まれた時からずっと大田区です。」
現在も大田区にお住まいとのことですが、大田区の魅力はなんですか?
「いっぱいありまして(笑)。都心部に出るのに遠くない上に、洗足池、多摩川、平和の森公園、野鳥公園など自然も豊かです。
田園調布や町工場があるように、すごく幅広い街でもある。実際、僕の周りにはお金持ちのボンボンもいれば、下町の商店街や町工場のヤンチャなやつとか、いろんな友達がいた。いろんな人のいろんな生活がある中で、生活水準がすごく違う友達が普通に一緒に遊び仲間としていた。この街で育って、すごく良かったなと思います。
あと、なんといっても羽田空港、海外に行くのも便利ですし、東京の玄関ですよね。」
現代美術の中でもインスタレーション*2という表現を選ばれた理由はなんですか?
「はじめは絵を描いていたのですが、キャンパスの四角い枠の中に収まる絵を描かなくてはいけないのは、なぜなのだろう?と疑問を持ちまして。丸い額というか丸い縁の中に絵を描くようになりました。段々、それも面白くなくなって、変なアメーバみたいな形の中に絵を描いていたのですが、最後は、枠の中に収めなくてはいけないことが疎ましくなってしまったのです。
僕が他の人の平面作品を見る時によくするのが、心の中でその作品の中に僕自身が入ってしまうこと。「この絵の中に入ったら、どんな風景が広がっているだろう」と想像します。そこで気づいたのですが、絵という平面作品ではなく、絵自体が空間に広がっていれば、その空間の中で僕が描いた世界を皆さんに楽しんでもらえるのではないだろうかと。そんな考えからインスタレーションという表現方法に至ったわけです。」
実際にインスタレーションを始めてみて、いかがでしたか?
「絵画の場合は見る場所が決まっていて、室内でライティングされているのが普通です。インスタレーション、特に僕の場合は屋外での作品が多いので、ライティングは太陽の光になります。朝に太陽が登ってから沈むまでの間、ずっと照明の位置が変わっているということです。照明の位置が変わることで作品の見え方が変わる。それが屋外でやるインスタレーションの面白みです。風の強い日もあれば、雨の日も晴れた日もある。一つの作品ですが、常に違う表情が見えてくる。さらに、インスタレーションによって天気の違いを感じた時に、じゃあ周りの環境はどうだろう?と見返してもらえれば、僕としては作品を作った意味があるかなと思います。
そのために透明で色のない物=ストレッチフィルム*3を使って制作しています。インスタレーションする場所自体が大切なので、場所を殺さずに、だけど自分の作品も場所に活かせてもらえるような、そんな作品を目指しています。」
《Goal difference》(2019年) アーツ千代田3331
中島さんの作品は、今回以外でもストレッチフィルムを利用したものが多いですよね。
「僕のインスタレーションには、自然の光や風や空気を捉えられる装置というか、それを可視化したいという思いがあります。雨風に丈夫で、光を複雑に反射・透過するストレッチフィルムが自分の考えを表現するのにいい素材だということです。
大量生産されている工業製品、普通にスーパーとかホームセンターで売っているものだというのも魅力です。そういった日常品を使って、芸術作品に作り変えるのが現代美術の面白さでもあります。」
今回の作品「水と風のひかり」についてお話しいただけますでしょうか?
「洗足池とボートハウスとをストレッチフィルムでつなぐ作品になります。ボートハウスの屋上から池に向かって広がるような形で貼っていきます。風が吹けばパタパタパタって音がしますし、雨が降ったらストレッチフィルムに水玉の跡がついていく。普段当たり前に通り過ぎていく日々で、曇りの日、蒸し暑い日、その日だからこそ生まれている自然現象がある。そうしたものを楽しんでもらえればいいなと思っています。」
洗足池の近くでずっとお暮らしとのことですが、中島さんにとって洗足池はどんな場所でしょうか?
「春は桜山での花見や三連橋で邦楽の演奏会「春宵の響」、夏は「ホタルの夕べ」、秋は千束八幡神社の祭礼など、季節季節を感じさせてくれる場所です。学生時代には女性と一緒にボートに乗ったり(笑)。自分が行き詰まった時、ちょっとほっとしたいと思った時、夜中でも朝方でも自転車とかバイクでここに来て、池をぼーっと眺めているだけで癒される場所です。」
洗足池でのインスタレーションというお話を聞いた時は日頃の依頼とは違う思いでしたか?
「勿論です。僕は作品を作る職業をしているので、いつか洗足池で作品展示ができたらいいなと思っていました。今回のプロジェクトは、自分にとって大変貴重な展示になると考えています。」
最後に、大田区の皆さんにメッセージをいただけますでしょうか?
「はい。気軽に、ちょっと散歩に行こうといった感じで、洗足池に寄って作品も見てもらえたらいいですね。そして、僕の作品が、洗足池をいつもと違った目線で見るきっかけになってくれれば嬉しいです。あと、こんなことを生業に生きているやつがいるのをちょっと頭の片隅に置いといていただくと、今後もう少し有名になった時に、「ああ、あの時のあの人ね」と思っていただければいいですね。(笑)。」
中島さんによる作品スケッチ
©KAZNIKI
現代美術作家(Artist)
1972年 東京都生まれ
1994年 桑沢デザイン研究所 写真研究科卒業
2001年 ベルリン在住 | ドイツ
2014, 2016年 摘水軒記念文化振興財団助成
現在、東京在住
2020年 交流の形 form of exchange <交換形式> /SHIBAURA HOUSE, 東京
2017年 日々の機微 / Gallery OUT of PLACE TOKIO, 東京
2015年 キクスル : ナレッジキャピタルフェスティバル/グランフロント大阪, 大阪
グループ展2019年 鉄工島フェス「IRON ISLAND FES」京浜島, 東京
2019年 象の鼻テラス開館10周年記念展 「フューチャースケープ・プロジェクト」, 横浜
2017年 絵と言葉のまじわりが物語のはじまり 太田市美術館・図書館, 群馬
など
公益財団法人大田区文化振興協会 文化芸術振興課 広報・広聴担当