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広報・情報紙

大田区文化芸術情報紙『ART bee HIVE』vol.7 + bee!


2021/7/1発行

vol.7 夏号PDF

大田区文化芸術情報紙『ART bee HIVE』は、2019年秋から大田区文化振興協会が新しく発行した、地域の文化・芸術情報を盛り込んだ季刊情報紙です。
「BEE HIVE」とは、ハチの巣の意味。
公募で集まった区民記者「みつばち隊」と一緒に、アートな情報を集めて皆様へお届けします!
「+ bee!」では、紙面で紹介しきれなかった情報を掲載していきます。

特集記事:行ってみたい、川瀬巴水が描いた大田の風景 + bee!

アートな人:近代風俗史料収集家・松田 集さん + bee!

今後の注目EVENT + bee!

特集記事:行ってみたい、川瀬 巴水 はすい が描いた大田の風景 + bee!

有名な場所ではなくて、何気ない風景が描かれている。
「大田区立郷土博物館学芸員・ 眞坂 まさか オリエさん」

現在の大田区周辺は古くから景勝地として知られ、江戸時代には歌川広重、葛飾北斎、歌川国芳など、多くの絵師により浮世絵として描かれてきました。時は流れ、大正時代に「新版画」と呼ばれる新たな木版画が生まれます。その牽引者であり一番の人気作家が川瀬巴水(1883-1957)です。「昭和の広重」と呼ばれ、海外でも高い人気を得ています。現在のIT社会を産み出したあのスティーブ・ジョブズも熱心なコレクターでした。

川瀬巴水「池上市之倉」(夕陽)版権印最古 昭和3年作
川瀬巴水「池上市之倉(夕陽)」『東京二十景』昭和3年作
提供:大田区立郷土博物館

浮世絵と新版画との違いは何でしょうか?

「色使い、構図のあり方、やはり新版画は新しいです。江戸時代の浮世絵は、少しデフォルメされている部分もありますが、巴水の新版画はとても写実的です。そして、刷り色の数が違います。浮世絵は多くて20色ぐらい、新版画は30から50色を摺ると言われています。」

巴水は“旅の版画家”、“旅情詩人”と呼ばれていますが・・・

「自作の作品解説に「何が好きだと聞かれましたら即座に旅行!と答へます」と記しています。本当に、一年中旅をしていますね。写生旅行に行って、戻ってきて直ぐ下絵を描いて、また旅に出るという生活をずっと続けていました。関東大震災の直後には、信州、北陸から関西や中国地方をぐるっと廻って、100日以上の旅に出ます。3ヶ月間家を空けてずっと旅をしています。

東京を描いたものはいかがでしょうか?

巴水は新橋の出身。やはり生まれ故郷ですから、東京を描いたものは多いです。100点以上は描いています。地方で多いのは京都府や静岡県ですが、それでも20~30点くらいです。東京が圧倒的に多い。5倍は描いています。

他の地域と表現に違いはあるのでしょうか?

自分の生まれ育った街ですから、名所旧跡だけではなく、巴水自身がよく知る何気ない東京の風景を描いた作品が多いです。生活の中の一場面というか、特に大正時代に描かれた絵は、ふと自分が気に留めた人々の日常生活を描いています。

海外での人気も高いですね。

通常の新版画は100~200枚摺り、多くても300枚ですが、巴水の「馬込の月」はそれよりも多く摺ったと言われています。正確な数字は分かりませんが、とても売れたという感覚があったのでしょうね。
また、昭和7年から数年にわたり、国際観光局が海外向けの日本旅行招致ポスターやカレンダーに巴水の絵を使っていますし、日本から世界各国の大統領や首相にクリスマス・カードとして配ってもいます。海外での巴水人気を見越してのことです。

川瀬巴水「馬込の月」昭和5年作
川瀬巴水「馬込の月」『東京二十景』昭和5年作
提供:大田区立郷土博物館

画業の大半を大田区で過ごす

大田区との関わりをお教えください。

「巴水の代表的な連作である『東京二十景』には「千束池」、「池上市之倉(夕陽)」、「馬込の月」、「大森海岸」、「矢口」など、大田区の風景が5作品描かれています。「千束池」を制作したのが昭和3年。巴水が大田区に転居してきたのが昭和2年末頃です。最初は、今の大森第三中の近くに引っ越し、しばらくして昭和5年に馬込の方に住むようになります。画業の大半を大田区で過ごしています。

現在の矢口渡付近の写真
現在の矢口の渡し付近。区民の憩いの場の河川敷となっている。ⓒKAZNIKI

大田区を描いた作品のいくつかをご紹介いただけますでしょうか。例えば、作品制作当時と今の風景の見比べの面白さで選ぶとするといかがでしょうか?

「大田区を描いた作品としては「暮れ行く古川堤」(1919年/大正8)があります。西六郷の銀杏の木が有名な古川薬師とも言われる安養寺辺りの多摩川沿いを描いています。何もない緑の堤が描かれていますが、今は住宅街となっています。
「曇り日の矢口」(1919年/大正8)も多摩川べりの風景です。有名な矢口の渡しを描いたのではなくて、東京や横浜へ砂利を運んでいた底が浅くてちょっと幅が広い砂利船を描いています。薄曇の天気の中で作業する男性たちを絵にするのが面白い。砂利船の文化も含め、今はもう見る影もないですね。名所をそのまま描くのではない、巴水の独特な感覚ではないでしょうか。どちらも大正8年の作品ですから、まだ大田区に住んでいない時期です。
「千束池」『東京二十景』(1928年/昭和3)は、今も昔と変わらない風景があるところ。洗足池の南、現在のボートハウスの方から妙福寺を見ている構図です。洗足風致協会が当時の自然や景色、趣を今でも守ってくれています。開発もまだまだで、少しずつ周りに住宅ができ始めた頃です。

川瀬巴水「千束池」昭和3年作
川瀬巴水「千束池」『東京二十景』昭和3年作
提供:大田区立郷土博物館

「馬込の月」『東京二十景』(1930年/昭和5)は、お伊勢の松を描いた作品です。残念ながら松はもう枯れてしまいました。江戸時代に、伊勢参りに行った村人たちが松を持ち帰ってきて、植えたと伝えられています。馬込のシンボルだったのでしょう。天祖神社の社殿の裏に三本松塚が残っています。

新馬込橋からかつて三本松があった天祖神社方面を見る写真
新馬込橋からかつて三本松があった天祖神社方面を見る。ⓒKAZNIKI

「大森海岸」『東京二十景』(1930年/昭和5)は、今はもう埋め立てられているところ。都堀公園辺りです。桟橋があって、船着場になっていた。そこから海苔の養殖漁場に出るようになっていました。大森の海苔は有名で、巴水もしばしば手土産としていたようです。

川瀬巴水「大森海岸」昭和5年作
川瀬巴水「大森海岸」『東京二十景』昭和5年作
提供:大田区立郷土博物館

『森ヶ﨑の夕陽』(1932年/昭和7)の森ケ崎も海苔養殖をしていた地域。今の大森南、羽田と大森の間です。鉱泉があって、昔は馬込の文士なんかもよく遊びに行ったところでした。描かれている小屋は海苔の乾燥小屋です。」

最後に描かれた巴水らしい静かな世界。

7月から大田区立郷土博物館にて開催される特別展「川瀬巴水—版画で旅する日本の風景—」についてお教えください。

「前期が東京の風景、後期が旅先の風景と2期に分かれています。合わせて400点程度展示する予定です。
前期は、東京生まれの巴水がどのように東京を描いたのかを見ていただけます。先ほども言いましたように、名所旧跡だけではなく、何気ない日常風景を描いた作品が多いです。今は消えてしまったもの、昔のまま残っているもの、かつての風景や人々の暮らし振りを見ることができます。ところが、戦前は精力的に東京を描いていた巴水が、戦後になるとパタッと描かなくなる。戦前の作品が90点近くあるのに、戦後のものはたった10点ぐらいしかない。戦後の東京が急速に変わっていき、自分のなかの東京が失われていく寂しさを感じていたのではないかと思います。
戦後、大田区を描いた作品は「洗足池の残雪」(1951年/昭和26)。積雪した洗足池の風景です。洗足池をよく散歩したようで、愛着を持っていたのでしょうね。

川瀬巴水「洗足池乃残雪」昭和26年作
川瀬巴水「洗足池の残雪」昭和26年作
提供:大田区立郷土博物館

最後に描いた大田区の景色は、「池上の雪」(1956年/昭和31)の池上本門寺でした。死の1年前です。こちらも雪景色です。最後に描いたのは、洗足池と本門寺という古刹だった。昔から変わらずにある景色に愛着を持ちながら描いたのかなと思います。どちらも巴水らしい静かな世界ですね。

川瀬巴水「池上乃雪」昭和31年作
川瀬巴水「池上の雪」昭和31年作
提供:大田区立郷土博物館

展覧会の後期は、何より旅が好きだった巴水の旅先の風景を取り上げました。今はコロナ禍で旅行などしづらいと思いますが、巴水が私たちの代わりにどんどん歩いていろんな風景を描いてくれています。巴水が描いた風景版画を通して、日本全国を旅する気分を味わいながら観ていただければいいなと思います。

プロフィール

学芸員写真
ⓒKAZNIKI

大田区立郷土博物館学芸員。平成22年、現職に着任。馬込文士村関係の常設展のほか、近年では特別展「作品の中の大田区-文士・画家の描いた風景-」を担当した。

川瀬巴水

川瀬巴水肖像/昭和14年7月
川瀬巴水 提供:大田区立郷土博物館

1883年(明治16)-1957年(昭和32)、大正・昭和期の版画家。版元の渡邊庄三郎とともに新版画の制作に尽力。風景版画を得意とし、生涯で600点以上の作品を残した。

アートな人 + bee!

タイムスリップというか、何人分もの人生を味わっている感じですね。
「近代風俗史料収集家・松田 つどい さん」

蒲田映画祭期間中に大田区民ホール・アプリコや大田区産業プラザPiOで開催された松田コレクション展示「KAMATA 青春燃ゆる。」、「映画の街 蒲田伝説。」などをご覧になった方も多いはず。松竹蒲田映画をはじめ映画グッズのコレクターである松田集さんは、オリンピックグッズのコレクターでもあるのです。

コレクション写真
貴重なオリンピック・コレクションと松田さん
ⓒKAZNIKI

神田の古本街には、毎週通い続けて50年以上になります。

コレクターになったきっかけはなんでしょうか。何か出会いとか出来事があったのでしょうか?

「もともと子どもの頃から収集が趣味でした。切手収集から始まり、おもちゃ、雑誌、チラシ、ラベルなど、あらゆるものを集めるのが趣味なんです。本名が“集(つどい)”というのですが、名前通りの人生だと言われています。大学進学で奈良から東京に出てきまして、本が好きで神田の古本街には大学に入った時からずっと通い続けています。毎週通い続けて50年以上。実は、今日も行ってきた帰りです。」

子どもの頃からのコレクター人生ですね。

「そうですね。とは言え、もうこれを一生の趣味にしようと本格的に集めるようになったのは30歳位から。それまでもバラバラ買っていましたが、本格的に収集を始めたのはその頃です。古書店街だけではなく古民具市とかも回っています。これはもう一生続けるしかないと、ずっとやるようになりました。」

幻の1940年東京オリンピックが最初。

オリンピックグッズで最初に手に入れたのはいつ頃でどんなものでしょうか?

「30年くらい前、1980年から1990年の間ですね。神田で定期的に古書市がありまして、東京中の古本屋がいろんな資料を持ち寄って、それで市を開いている。そこで手に入れました。最初にコレクションしたのは、幻の1940年東京オリンピックの公式五輪計画書(英語版)。JOCが、東京で開催したいということで IOCに提出したものです。戦前の幻の東京オリンピックの資料が最初ですね。」

コレクション写真
幻の1940年東京オリンピックの公式五輪計画書(英語版)ⓒKAZNIKI

ホントよく残っていましたね。今JOCは持っているのですか?

「ないと思います。かつて国立競技場にあったスポーツ博物館にもドイツ語版がありましたけれども、この英語版はないと思います。
そして、計画書と同時にIOCに提出したのが『TOKYO SPORTS CENTER OF THE ORIENT』。まさに東洋のスポーツの中心地として、当時の日本のスポーツ環境はもちろん、日本という国自体をアピールする美しい写真があふれているオリンピック招致アルバムです。」

コレクション写真
1940年東京オリンピック招致アルバム『TOKYO SPORTS CENTER OF THE ORIENT』ⓒKAZNIKI

オリンピックグッズを続けて収集するようになったのは何故でしょうか。

「不思議なことに、オリンピックの資料を集めだしたら、なぜか貴重なものが古書市に出るようになるんです。例えば、1924年パリ・オリンピックの時の日本の予選会プログラム、1936年ベルリン・オリンピックの時の予選会のプログラム、1928年アムステルダム・オリンピック日本選手を応援するためのマッチ、幻の1940年東京オリンピックに変更された1940年幻のヘルシンキ・オリンピックのパンフレットなどなど。
1964年東京オリンピックの資料もあります。開会式の時の新聞とか、記念切手とか、もういっぱいですよ。聖火ランナーのポスターをそのまま風呂敷にしたものもあります。風呂敷というのが日本的ですよね。そのほか、オリンピックに関連して、1964年に開通した新幹線の試乗記念チケットやモノレールの開通記念の切符、首都高速道路開通のパンフレットもあります。」

初めて出会った時は、「僕と出会うのを待っていた」くらいの感覚になる。

今でしたらネットで様々な情報が入手できますが、コレクションを始めた当時はどのように情報収集していたのですか?

「もう行き当たりばったりです。平和島の古民具市とかは年に4、5回あるのですが、それには必ず行きます。とにかくイベントがあれば何百回何千回と顔を出して、そこから一点ずつ掘り出して集めています。ほんとに足で集めたコレクションですね。」

現在、コレクションは何点ぐらいですか?

「まぁ100,000点以上は確実ですけど、200,000点ぐらいあるかもしれません。100,000点の時点までは数えていましたが、それ以後はどれだけ増えているかちょっとわかりません。」

コレクション写真
1964年東京オリンピック大会役員のワッペン(右端)と販売用グッズ・ワッペン3種ⓒKAZNIKI

収集のモチベーションというか、どういう思いで集められているのでしょうか?

「50年以上集めていますと、ほんとに普通に食事したりするのと同じです。それが毎日の習慣になってしまっている。
そして、なんと言っても出会いの喜び。他のコレクターの方とよく話すのですが、ある資料=アイテムに出会った時の感覚がものすごいんですよ。どんなものにも作られた時があったわけですから、それを見たことがある人が必ずいるわけです。だけども何十年、ものによっては100年以上多くの人の目に触れることなく時を過ごしてきた。それがある日ひょこっと僕の前に現れる。だからもう初めて出会った時は、本当に「こいつは僕と出会うのを待っていた」くらいの感覚になるんですね。」

恋愛みたいですね。

「あと、欠けている部分が埋まっていく喜び。継続して資料を集めていると、どうしても中抜けが出るんです。それが一つずつズバーンズバーンとパズルのように嵌まっていくというか集まっていく。この快感がすごい。もうこれはちょっとクセになります。
何故かつながる面白さもあります。手に入れた雑誌の芥川龍之介の文章を読みますでしょ、芥川が初めて帝劇で松井須磨子*の舞台を見たとか書いてあるんですね。そうすると、偶然にその書いてあるその舞台の資料と出会うんです。それから次々と松井須磨子の100点位の資料が集まりました。」

不思議な感じがしますね。

「一番の喜びは空想の世界での追体験というか・・・例えば、ロシアのバレリーナ、アンナ・パブロワ *の1922年(大正11)の帝劇公演の資料をいろいろ持っています。もちろん、私の生まれる前ですから、彼女のステージを実際に見たことはありません。ところが、その時のプログラムや当時のブロマイドなどを見ていると、実際のステージを見たような錯覚におちいるんです。タイムスリップというか、人生100年以上生きてきたような、何人分もの人生を味わっている感じですね。

平和の祭典は、途絶えさせたくはありません。

最後に今回の東京オリンピック2020+1への期待をお聞かせください。

「開催資金を調達するためのワッペンや切手など、色々なアイテムがあります。ロンドンオリンピックが開催された時から、銀行協会が東京オリンピックを盛り上げるために4年間ずっと継続して出していた冊子もあります。日本全国の自治体や企業が独自で発行したパンフレットもあり、ほんとに国をあげての一大プロジェクトだったんです。日本中の人から企業からが本当に必死でやり遂げた。それこそ戦前のこともあるので、今度こそ幻にしちゃいけない、オリンピックを立派に成し遂げようと日本中が頑張っていたかがひしひしと伝わってきます。今回のオリンピックなんか止めればいいって言う人がいるけど、オリンピックの歴史を学習すればするほど、ただのスポーツイベントでないことが分かるはずです。オリンピックは、どのような形になろうとも人類の知恵を結集して中止することなく継続しなきゃいけない。平和の祭典は、途絶えさせたくはありません。」

 

*松井須磨子(1886-1919):日本の新劇女優、歌手。二度の離婚、作家・島村抱月とのスキャンダルに苦しめられる。トルストイ原作・抱月脚色の『復活』の劇中歌『カチューシャの唄』が大ヒット曲となる。抱月死後、後追い自殺する。

*アンナ・パブロワ:(1881-1931):20世紀初頭を代表するロシアのバレリーナ。M・フォーキン振付の小品 『白鳥』は後に 『瀕死の白鳥』 と呼ばれるようになり、パブロワの代名詞となった。

プロフィール

コレクション写真
ⓒKAZNIKI

近代風俗資史収集家。子どもの頃からの生粋の収集家。映画、演劇、オリンピックはもちろん、近代日本の風俗関連のあらゆるものを収集する。

今後の注目EVENT +bee!

今後の注目EVENT CALENDAR 2021年7~9月

注目EVENT情報につきましては、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、今後中止または延期となる可能性がございます。
最新情報は、各問合せ先にてご確認頂きますようお願い申し上げます。

特別展「川瀬巴水—版画で旅する日本の風景—」

日時 【前期】「東京の風景」7月17日(土)〜8月15日(日)
【後期】「旅先の風景」8月19日(木)〜9月20日(月・祝)
9:00-17:00
定休日:月曜(ただし、8月9日(月・祝)、9月20日(月・祝)は開館)
場所 大田区立郷土博物館
(東京都大田区南馬込5-11-13)
料金 無料
主催・問合せ 大田区立郷土博物館
03-3777-1070

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おおた夏のミュージアムめぐり

各館展示開始日~8月31日(火)まで(龍子記念館は8月15日(日)まで)

郷土博物館をはじめ、龍子記念館、勝海舟記念館、大森 海苔のふるさと館で、オリンピックの開催時期に合わせて企画展・特別展を開催!
この機会にぜひ大田区のミュージアム巡りを楽しんでください!

おおた夏のミュージアムめぐり別ウィンドウ

企画展「葛飾北斎《冨嶽三十六景》×川端龍子の会場芸術」

日時 7月17日(土)〜8月15日(日)
9:00-16:30(入館16:00まで)
定休日:月曜(祝日の場合はその翌日)
場所 大田区立龍子記念館
(東京都大田区中央4-2-1)
料金 大人500円、小人250円
※65歳以上(要証明)と6歳未満は無料
主催・問合せ 大田区立龍子記念館

詳細はこちら

大田区 OPENアトリエ2021

日時 8月21日(土)・22日(日)
11:00-17:00
参加作家 青山悟、新垣美奈、市川平、荻野夕奈、影山萌子、神山麗子、小金沢健人、TEPPEI YAMADA、中島崇、早崎真奈美、松本力 ほか
参加施設 ART FACTORY城南島、ギャラリー南製作所、KOCA、SANDO BY WEMON PROJECTS ほか
料金 無料
主催・問合せ 大田区 OPENアトリエ2021実行委員会
nakt@kanto.me(中島)

詳細はこちら

コラボレーション企画展「川端龍子vs高橋龍太郎コレクション
-会田 誠・鴻池朋子・天明屋尚・山口 晃-」


photo:ElenaTyutina

日時 9月4日(土)〜11月7日(日)
9:00-16:30(入館16:00まで)
定休日:月曜(祝日の場合はその翌日)
場所 大田区立龍子記念館
(東京都大田区中央4-2-1)
料金 大人500円、小人250円
※65歳以上(要証明)と6歳未満は無料
主催・問合せ 大田区立龍子記念館

詳細はこちら

お問合せ

公益財団法人大田区文化振興協会 文化芸術振興課 広報・広聴担当