広報・情報紙
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2024/4/1発行
大田区文化芸術情報紙『ART bee HIVE』は、2019年秋から大田区文化振興協会が新しく発行した、地域の文化・芸術情報を盛り込んだ季刊情報紙です。
「BEE HIVE」とは、ハチの巣の意味。
公募で集まった区民記者「みつばち隊」と一緒に、アートな情報を集めて皆様へお届けします!
「+ bee!」では、紙面で紹介しきれなかった情報を掲載していきます。
昨年4年ぶりに再開した「洗足池 春宵の響」。ライトアップされた「池月橋」周辺を舞台に、和楽器を中心とした伝統音楽や様々なコラボレーションを楽しめる野外コンサートです。本年5月に第27回公演が開催予定です。1995年第1回目からの出演者で、コンサートの中心を担い、令和5年度文化庁芸術選奨文部科学大臣賞を受賞された邦楽囃子笛方の福原徹さんにお話を伺いました。
能管を持つ福原さん
邦楽囃子との出会いについてお教えください。
「母親は元々シャンソン歌手で洋楽を歌っていました。私自身もとても歌うことが好きな子どもでした。小学校の2年生からNHK東京児童合唱団に入って歌っていました。母親は長唄をやっていた時期がありまして、私も長唄をちょっとかじっていたんです。合唱団では洋楽のボーイソプラノで、長唄は地声です。子どもなので、何の区別もなくただ歌として歌っていました。」
笛を始められたきっかけは何だったのでしょうか。
「中学2年生で合唱団を卒団、音楽から離れていたのですが、高校に入ってやはり音楽をやりたくなりました。友達はみんなバンドを組んだりしているけど、同級生と一緒にバンドをやる気にならないわけです。東京児童合唱団にいた関係で、NHK交響楽団や日本フィルハーモニー交響楽団と共演したり、番組に出たりしていたので…。音楽的にスノッブになっていたのだと思います(笑)。
そんな時に、長唄の笛がとても魅力的だったのを思い出しました。当時の舞台を観たりレコードを聴くと、ある人の名前がやたらと出てくる。実際にその人の笛が凄くいい。僕の師匠となる六世福原百之助、後の四世寶山左衛門です。母親の伝手がありましたので紹介していただいて習い始めました。それが高校2年の時です。僕は笛を始めたのがとても遅かったのです。」
能管(上)と篠笛(中・下)。いつも30本ほど用意している
なぜ笛に魅力を感じたのでしょうか。
「自分の中でしっくりきたのですかね。合唱団ではいわゆるボーイソプラノでしたし、長唄でも結構高い声が出ていました。子どもの頃に高い声で歌っていたので、知らず知らずの内に高い音の笛を選んだのかもしれません。」
最初からプロを目指していたのでしょうか。
「いいえ。本当に趣味というか、音楽が好きで、ただやってみたい想いだけでした。今考えると恐ろしいことですが、笛の持ち方も分からない状態で、先生に手ほどきしていただきました。うちの先生は東京藝術大学で教えていらしたのですが、私が高校3年生になった4月ぐらいに、『君は大学を受けるのかい』という話になって、『芸大にも笛のコースがあるんだよ』とふとおっしゃった。それを聞いた瞬間に、『あ、芸大を受ける道があるのか』と閃いてしまった。その日の夜に親に話して、翌日先生に『昨日のお話ですけど、受けたいと思います』とご返事しました。
それからが大変です。先生から『明日から毎日来なさい』と言われました。高校の授業が終わると、先生が国立劇場にいる日は国立劇場に行き、赤坂の花柳界のお稽古だったら赤坂に行くわけです。最終的に先生をお家まで見送って、夜遅く家に帰って来る。それから夕飯を食べて、学校の宿題をやって、自分の練習をして、翌日の朝にまた学校に行く毎日でした。よく体力が続いたなと思いますが、高校生ですから苦しくもなんともない。かえって楽しいくらいです。先生は偉い師匠でしたから、お供をしていると私までご馳走になったり、良い思いもさせていただきました(笑)。
とにかく頑張って現役で入学しました。芸大に入ったらその道に行くしかない。自動的にプロになることが決まってしまったという感じです。」
篠笛には調子を表す数字が書かれている
篠笛と能管の違いについてお教えください。
「篠笛は竹に穴を開けただけのシンプルな作りで、普通にメロディーが吹ける笛です。祭り囃子や民謡でも使います。一番ポピュラーな笛で、カルチャーセンターで笛の教室と言えばたいてい篠笛だと思います。
能管は能で使う笛で、「喉」という管が笛の中に入っていて内径が狭まっている。倍音がたくさん出ますが、音階が吹きにくい。管楽器は同じ指使いで息を強く吹くと1オクターブ上の音が出るのですが、能管は1オクターブにならない。洋楽的に言ったら音階が崩れています。」
演奏する上で、篠笛と能管の魅力に違いはあるのでしょうか。
「それはありますね。篠笛は三味線が鳴っていれば三味線の、歌があれば歌のメロディに合わせる形で演奏します。能管はどちらかというとお囃子のリズムに合わせる形で演奏します。音がドラマチックで、幽霊が出てくるとか、合戦であるとか、劇的効果を狙う時に能管を使うことが多いです。
登場人物や背景によっても使い分けます。ひなびた田んぼを寂しげに人がトボトボ歩いている場面だったら篠笛の世界になりますし、御殿とか大きいお城で武士が歩いているのであれば能管です。」
篠笛には長さの違うものが数多くあるのはなぜでしょうか。
「私の場合はいつも30本ほど持ち歩いています。少し前の世代まではこんなに持っていなくて、2、3本とか4、5本しか持ってなかったそうです。だとすると、三味線と音程が合わなかったはずですが、当時は笛とはそういうものだと、今の感覚で言うとずれた調子で吹いていたそうです。うちの先生が工夫をして調子を合わせるようにしたら、三味線の人が目を丸くしたといいます(笑)。」
新作の創作についてお話ください。
「古典の中で笛はほとんど伴奏パートを演奏します。歌や三味線であったり舞やお芝居のバックなわけです。もちろん、それはそれで素晴らしく魅力的です。その中にソロ部分もありますが、笛でもっと色んなことができると思っています。尺八の場合は、本曲といって尺八のソロの古典曲があります。残念ながら笛にはそれがない。ソロの曲は先生が作り始める前はほとんどなくて、自分で作らないと曲が足りないというのが現状です。」
他ジャンルとのコラボレーションについてお話しください。
「長唄の笛を吹く時も抒情歌やバッハを吹く時も、自分の中では全く区分けがありません。ただし、お囃子の笛方が吹く以上はバッハを吹いたとしても、『笛でバッハが吹けますよ』ということをやろうとは思っていません。むしろバッハを邦楽に取り込んでしまう。バッハに近付くというよりも、笛の世界を広げる意味でバッハを選んだということです。」
第24回「洗足池 春宵の響」(2018年)
「洗足池 春宵の響」が始まったきっかけは何だったのでしょうか。
「大田まちづくり芸術支援協会ascaのメンバーの方がたまたま私のカルチャースクールの生徒さんだった。ある日、お稽古の帰りに『うちの近所の公園に新しく橋が出来まして、そこで寶先生に笛を吹いてもらいたい』とおっしゃった。最初に思ったのは正直『困ったな』です(笑)。僕だけならともかく、うちの先生を引っ張り出して変なことになるとまずいと思いました。ところが、先生にお話しすると、『面白そうだからやってみたらいいじゃない』となって、それで実現したのが最初の『春宵の響』です。」
依頼された時に、洗足池や池月橋について何かご存知でしたか。
「橋と聞いただけでしたので何も分からない。『一度ちょっと見せてください』と下見に行きました。白木でできていて、とても雰囲気があるし、お客さんとの位置や距離感もちょうどいい。『あ、なるほど。これは面白いかもしれない』と思いました。開催してみると地元の方とか、たまたま通りがかった人が800人以上も足を止めて聴いてくださった。先生もすごく喜んでくださった。」
「春宵の響」は、当初と今とでは何か変化がありますでしょうか。
「最初は、人間国宝である寶山左衛門の笛が直接聴けるのが何よりのポイントでした。ところが回数を重ねる内に、先生が体調を崩されて出られなくなり、平成22年に亡くなられました。寶先生の名前で始めたことですから、笛のイベントとして続けたいけれど何か工夫しないといけない。何しろメインである先生がいないのですから。それで、お囃子が入ったり、お箏が入ったり、三味線が入ったり、徐々にコラボレーションの度合いが増えていきました。」
新たなプログラムを企画する上で、気を付けている点をお教えください。
「先生の世界を崩したくない気持ちはあります。必ず先生の作品をプログラムに入れています。しかし、本当に通りがかりの人もいるし、何にも知らないでいらっしゃる人もいる。そういう方たちを門前払いしたくない。どんな方にも喜んでいただけるように、入り口をいっぱい作りたいと思っています。誰もが知っている抒情歌や正統派の古典芸能を聴いていると、自然にピアノの音が入ってくる。あるいはピアノを聴きたい人が、いつの間にか笛や和楽器を聴いている。知らず知らずに色んな音楽に触れられる。古典を聴いたつもりが現代音楽を聴いていたりする。『春宵の響』はそういう場でありたいと思っています。」
演奏家・作曲家として大切にされていることは何でしょうか。
「自分に正直でありたいです。仕事ですからどうしても、受けたい、評価されたい、批判されたくないとか、色々な意味でリミッターがかかるわけです。それを外さないといけない。自分がやってみたいと感じたら、失敗に終わるとしてもまずやってみる。最初からこれはやめておこうとなると、芸が小さくなってしまう。可能性を自分で摘み取ってしまうのはもったいない。
僕自身そんなに苦労した人間とは言えないと思いますが、それでも嫌な思いをしたり、辛いこともありました。そんな時に、音楽に助けられたことがたくさんあります。邦楽というと仕来りや形が決まっているとか窮屈に見えますが、西洋音楽のように譜面に縛られることが少なくて、意外に自由な面がある。邦楽に接することで、何かしら苦しい思いをしている人たちが救われるかもしれない。『色んなやり方があって、自由にやっていいんだよ』と教えてくれる。邦楽にはそんな温かさがあると思います。」
区民の皆さんにメッセージをお願いします。
「長唄は歌詞の意味が分からないとよく言われますが、オペラや英語のミュージカルを字幕なしで理解している方は少ないと思います。音楽ですから、一字一句わからなくてもいい。ただ聴こえてくるだけで充分です。一つ観れば次に他のものを観たくなります。いくつか観ているうちに何となくこれが好き、あれが面白い、あの人いいと思えるようになってきます。ワークショップに参加されるのもいい。機会があったら、気軽にふらっと聴きに来てください。『春宵の響』は非常にいい機会だと思います。今まで知らなかった面白い何かが見つかるかもしれない、他では得られない体験がきっとあるはずです。」
1961年東京生まれ。四世宗家宝山左衛門(人間国宝)に師事、福原徹の名を許される。東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業後、邦楽囃子笛方として篠笛・能管の古典演奏活動を続けるほか、笛を中心とした作曲に取り組む。2001年第一回演奏会「徹の笛」で、平成13年度文化庁芸術祭大賞を受賞。東京藝術大学などの非常勤講師を歴任。令和5年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
池上本門寺奥庭・松濤園は徳川将軍家の茶道指南役として知られ、桂離宮の建築と造園でも名高い小堀遠州*によって造られたと伝えられています。池上の豊富な湧き水を利用した池を中心に、園内各所に茶室を配した池泉回遊式庭園*です。日頃は非公開の名園・松濤園が期間限定で本年5月に公開されます。池上本門寺霊宝殿学芸員の安藤昌就さんにお話を伺いました。
松濤園は本門寺旧本坊の奥庭と言われますが、本坊の奥庭とはどんな位置付けなのでしょうか。
「本坊は貫首*の住まいであり、全国にある末寺を統括する事務を行ったり、重要な檀家さんの対応をしたり、日々の法務をしたりする場所です。奥庭ですが、境内の一番奥にあるから奥なのではありません。江戸城で将軍のプライベート空間を大奥と言うように、寺院でも貫首のプライベート空間を大奥と呼びます。大奥のお庭だから奥庭。貫首のためのお庭であり、貫首が大切なお客さまを招いて接待したお庭です。」
池泉回遊式庭園というと大名庭園を思い浮かべますが、それらとは一味違うとお聞きしています。どういうところが違うのでしょうか。
「大名庭園は平場に作られる庭園で、大名は莫大な権力を持っていますので広大なお庭を作ります。東京都内では小石川後楽園や文京区の六義園あるいは浜離宮恩賜庭園などがありますが、全てが広大な敷地に平坦な庭が広がっています。その中に風情を凝らした風景を作っていくのが一般的です。松濤園はそんなに広くはありませんので、凝縮した形で景勝を再現しています。窪地ですので周りを丘に囲まれています。平場がないのも松濤園の一つの特徴です。ごく限られた人数の方にお茶のご接待を申し上げるのに適したお庭です。」
本当に大奥のお庭ですね。
「そうです。大茶会とかで使うお庭ではありません。」
幾つかの茶室が配されていいますが、お庭が作られた当時からあるのでしょうか。
「江戸時代の作られた当時は一棟だけです。丘の上に一棟建っていただけ。残念ながら、現存していません。」
四方を豊かな緑に囲まれた松濤園。季節ごとにその姿を変える
見所についてお話しください。
「やはり最大の見所は窪地を利用した圧倒的な緑です。お庭の中に入ると四方を包まれるように緑が迫ってきます。それに高いところからの眺望ですかね。基本的に空間の中に入って楽しむお庭ですが、窪地ですので上からの俯瞰的な眺めも見事です。今は朗峰会館*のお庭のような扱いで整備しているので、会館から眺めた景色に風情がある。正面の景色をまず眺めて、一周巡って正面に帰ってくると、景色がまた違った形に見えてきます。これが松濤園の楽しみの極意です。」
この後、安藤さんと実際にお庭を巡りながら、お勧めポイントについてお話ししていただきました。
西郷隆盛と勝海舟会見の碑
「1868年(慶応4)に西郷隆盛と勝海舟が、この庭で江戸城無血開城の交渉をしたと伝えられています。本門寺は当時新政府軍の本陣がおかれた場所でした。今の碑があるところに二人が話し合った東屋がありました。残念ながら明治の初めの頃にはなくなっています。この会見により江戸の街は戦火から免れたのです。現在、東京都旧跡指定となっています。」
近代日本画を創り上げた橋本雅邦の筆塚
「橋本雅邦は、同門の狩野芳崖と一緒にフェノロサや岡倉天心のもとで近代日本画を創り上げた大先生です。もともとは江戸幕府の御用絵師だった狩野派の中でも特に力を持っていた木挽町狩野家のお弟子さんでした。近代日本画は狩野派の絵を否定するところから立ち上がっていくのですが、雅邦は狩野探幽以前の狩野派絵師や狩野派の教育法は見るべきものがあると、狩野派の顕彰活動を行なっていきます。雅邦は明治43年に亡くなったのですが、大正5年に、弟子たちが雅邦の使っていた筆をもとの師であった狩野家の菩提寺の本門寺に収めて建てたのがこの筆塚です。お墓は清澄白河の日蓮宗の玉泉院にあるのですが、この筆塚より随分小さい。筆塚はこんなに大きい。いかに弟子たちに慕われた師匠だったかがよく分かります。」
ここから見る景色はもちろん、岩自体も見事な魚見岩
「お池を裏側から楽しむことのできるポイントです。この場所から眺める亀島と鶴石がとても美しい。上から見ると、池の姿が水の文字の形に見えます。どうぞ石の上に立って眺めてください。正面から見るお庭とまた違った景色が見えてきます。」
陶芸家・大野鈍阿の邸から移築した茶室・鈍庵
1世代前の霊山橋の欄干の石を利用した茶室・鈍庵の敷石
「元々は陶芸家で裏千家の茶人であった大野鈍阿が邸内に建てた茶室でした。『鈍庵』の鈍は名前の鈍阿から取ったそうです。鈍阿は三井財閥の番頭だった益田鈍翁*に可愛がられた陶芸家で、鈍翁の鈍をいただいて鈍阿と名乗りました。四畳中板*の茶室で栗材を使った建物です。益田鈍翁に指導いただきながら作ったと言われています。敷石は1世代前の霊山橋の欄干です。河川改修で解体された石が使われています。」
陶芸家・大野鈍阿の住まいであった茶室・根庵
「元々は、大野鈍阿の住まいでした。八畳間の茶室二間です。この建物と茶室『鈍庵』はつながっている建物でした。2棟ともに裏千家よりご寄贈いただき、松濤園に移築しました。園内には東屋を入れて4棟の茶室があります。これらの建物をここに配置したのは平成3年の改修時で、茶室『浄庵』と東屋の茶室『松月亭』の二つは新築です。」
松濤園はロケ場所として撮影させていただくことは可能なのでしょうか。
「今は受けていないです。昔は時代劇によく使われました。大河ドラマの『徳川慶喜』で、水戸藩上屋敷の庭園という設定で撮影がありました。水戸藩上屋敷は小石川後楽園ですから、現物が残っていたのですが、なぜかここで撮影されました。理由をお聞きすると、小石川後楽園は東京ドームや高層ビルが見えてしまうのだそうです。松濤園は窪地のお庭の特権で、周りの建物が見えない。窪地の庭なので、音も遮断される。近くに第二京浜が通っているのに、鳥の声しか聞こえません。鳥もいろんな種類が来るようで、カワセミが池の小さな魚を食べていたりします。タヌキも住んでいるんですよ。」
*小堀遠州:天正7年(1579)- 正保4年(1647)。近江の国に生まれる。近江小室藩主で江戸初期の大名茶人。千利休、古田織部と続いた茶道の本流を受け継ぎ、徳川将軍家の茶道指南役となる。書画、和歌にもすぐれ、王朝文化の理念と茶道を結びつけ、「綺麗さび」という茶道を創り上げた。
*池泉回遊式庭園:大きな池を中心に配し、園内を回遊して鑑賞する庭園。
*貫首:日蓮宗で本山以上の寺院の住職に対する尊称。
*朗峰会館:境内地に建てられた複合施設。館内にはレストラン、研修会場パーティー会場などを備える。
*橋本雅邦:1835年(天保6)-1908年(明治41)。明治期の日本画家。5歳の頃から実父より狩野派のてほどきを受け、12歳の時正式に木挽町狩野家の当主狩野養信に入門する。1890年(明治23)の東京美術学校開校に際して絵画科の主任となる。横山大観、下村観山、菱田春草、川合玉堂らを指導。代表作は『白雲江樹』(重要文化財)、『龍虎』など。
*大野鈍阿:1885年(明治18)-1951年(昭和26)。岐阜県出身の陶芸家。1913年(大正2)、益田鈍翁(益田孝)によりその働きぶりを見出され、益田家のお抱え職人として迎え入れられる。
*中板:点前畳と平行に客畳との間に入れた板畳のこと。
*益田鈍翁:1848年(嘉永元)-1938年(昭和13)。日本の実業家。本名は益田孝。草創期の日本経済を動かし、三井財閥を支えた。世界初の総合商社・三井物産の設立に関わり、日本経済新聞の前身である中外物価新報を創刊した。茶人としても高名で鈍翁と号し、「千利休以来の大茶人」と称された。
お話 池上本門寺霊宝殿学芸員 安藤昌就さん
今号で取り上げた春のアートイベント&アートスポットをご紹介します。ご近所はもちろん、アートを求めてちょっと遠出をしてみてはいかがでしょうか。
最新情報は、各問合せ先にてご確認頂きますようお願い申し上げます。
日時 |
4月20日(土) 14:00-16:00 |
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場所 | ギャラリー南製作所 (東京都大田区西糀谷2-22-2) |
料金 | 1,000円(資料代、会場代込) |
主催・問合せ |
ギャラリー南製作所 |
日時 |
4月27日(土) 17:00開演(16:30開場) |
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場所 | ギャラリー南製作所 (東京都大田区西糀谷2-22-2) |
料金 | 3,000円 |
主催・問合せ |
ギャラリー南製作所 |
日時 |
5月3日(金・祝)、5月4日(土・祝)、5月5日(日・祝) 各日の開催時間は下記のホームページをご確認ください。 |
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場所 | 大田区民ホール・アプリコ 大ホール、小ホール (東京都大田区蒲田5-37-3) |
料金 | 3,300円~10,000円 ※料金の詳細は下記のホームページをご確認ください。 |
主催・問合せ | 東京国際音楽祭2024実行委員会事務局 03-3560-9388 |
日時 | 5月5日(日・祝) |
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場所 | さかさ川通り (東京都大田区蒲田5-21番~30番周辺) |
主催・問合せ | 品川・大田おさんぽマルシェ実行委員会、蒲田東口商店街商業協同組合、(一社)蒲田東口おいしい道計画 oishiimichi@sociomuse.co.jp |
日時 | 5月11日(土) 17:00開演(16:30開場) |
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場所 | ギャラリー南製作所 (東京都大田区西糀谷2-22-2) |
料金 | 3,000円(1ドリンク付) |
主催・問合せ |
ギャラリー南製作所 |
山口勝敏さん
日時 | 5月25日(土)、26日(日)、6月1日(土)、2日(日) 各日13:30開演 |
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場所 | クロスクラブ (東京都大田区久が原4-39-3) |
料金 | 大人・高校生5,000円、小・中学生3,000円(いずれも茶菓付) ※未就学児入場不可 |
主催・問合せ | クロスクラブ 03-3754-9862 |
公益財団法人大田区文化振興協会 文化芸術振興課 広報・広聴担当