広報・情報紙
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2024/1/5発行
大田区文化芸術情報紙『ART bee HIVE』は、2019年秋から大田区文化振興協会が新しく発行した、地域の文化・芸術情報を盛り込んだ季刊情報紙です。
「BEE HIVE」とは、ハチの巣の意味。
公募で集まった区民記者「みつばち隊」と一緒に、アートな情報を集めて皆様へお届けします!
「+ bee!」では、紙面で紹介しきれなかった情報を掲載していきます。
アートな場所:『画廊・翔子』書家・金澤翔子/金澤泰子 + bee!
アートな人:大田区久が原落語友の会『くがらく』代表・新免玲子さん + bee!
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東急池上線「久が原駅」からライラック通り久が原を上り二つ目の交差点を過ぎると、右手に毛筆で「共に生きる」と書かれた大きな看板が目に入ってきます。そこがダウン症の書家・金澤翔子さんの個人ギャラリー「画廊・翔子」です。金澤翔子さんとお母さまの泰子さんにお話を伺いました。
大きな看板が印象的なギャラリー外観
書を始められたのはいつ頃で、きっかけは何だったのでしょうか。
翔子「5歳から。」
泰子「翔子が保育園の時に、小学校は普通学級に取っていただくことに決まったのですが、実際の学校生活を考えるとそれは大変なことです。だから、何よりお友だちを作らなくてはいけないと思いました。私にできるのは“書”だけでしたから、同じ学校に行く子どもたちを集めて、翔子とお友だちにお習字を教えたのが始まりです。」
最初はお友だち作りだったのですね。
泰子「そうなんです。」
5歳で書を始められて、今もずっと続けられている。書の魅力は何でしょうか。
翔子「楽しい。」
泰子「翔子が書そのものを好きかどうかわかりません。ただ、翔子は人に喜んでもらえることが大好きで、とりあえず母親である私に一番喜んでもらいたい。母親を喜ばせたくてやるのが楽しい訳です。翔子の本質は人に喜んでもらうことなんです。」
翔子「うん。」
自筆屏風の前の翔子さん
翔子さんの書には魂を揺さぶる何かがある。
泰子「本当に不思議ですが、翔子の書に多くの方が涙を流してくださる。私は書を70年以上続けていますが、書を見た方が涙を流すことは普通ないんです。18年前、20歳の時に初めて個展をしました。その時、皆さんが泣くんです。なぜだろうと、ずっと考えているのですが、翔子はちょっとIQが低い分違う知性が大きく育ったのだと思います。ある意味純粋に育ちました。非常に純度の高い魂を持っている。その純度の高い魂が書くから、感動してもらえるのだと思います。」
20歳の時に初めての個展を開いたのはなぜでしょうか。
泰子「主人は翔子が14歳の時(1999年)に亡くなりましたが、生前いつも『こんなに立派な字が書けるのだから、20歳になったら翔子の書をお披露目しよう』と言っていました。それで生涯一回限りと考え、2005年に銀座で個展を開きました。」
その後も書家を続けることになったのはなぜでしょうか。
泰子「書家になるなんて思ってもいなかった。当時の社会環境では、障がい者が何者かになるなんてあり得なかったですから。ただ思いがけずに、全国から多くの方に見に来ていただきました。ありがたいことに、お寺のご住職や美術館の方たちが『うちで個展やりましょう』と言ってくださった。一回限りのはずの個展が今日までに500回を越えます。皆さんの前で書を披露する席上揮毫は1,300回くらいになります。『書いてください』と言われれば嬉しくて、『一所懸命やろう』とそれだけで今まで来ました。皆さんが翔子の書を見て喜んでくださる。それが翔子の喜び・力にもなる。私自身はもちろん、多くの障がい者のお母さんたちも救われていく。翔子の書を見て、『希望を持てます』と言っていただける。」
翔子さんにとって書とは何でしょうか。
翔子「元気とハッピーと感動。心をこめて書いてます。」
間近に作品と接することができる店内
画廊・翔子のオープンはいつですか。
泰子「2022年の7月7日です。」
オープンのきっかけをお教えください。
泰子「翔子が一人暮らしを始めて7年たったのがきっかけです。一人暮らしを久が原の皆さんが助けてくださった。ゴミの出し方から何からみんな教えてくださった。翔子を育ててくださった。この画廊は翔子の終の住処です。翔子は一人っ子で身寄りがないですから、この街この商店街に託していこうと思って始めました。要するに私の終活です。」
ギャラリーのコンセプトを教えください。
泰子「売れるかどうかは別として、翔子の心を表すような、翔子の生き方が出ているものを展示しています。」
展示の入れ替えはあるのでしょうか。
泰子「売れたら新しい作品を展示するので、結構変わっていきます。中心となる大きな屏風は季節ごとに入れ替えています。」
ギャラリーの今後の展開についてお話しください。
泰子「ここに翔子が住み続けるためには、この街にたくさんの人が来てくれないといけない。そのために、この画廊で翔子以外の若いアーティストの展覧会も開こうと思っています。若い人が画廊を借りてやるのは大変ですから、少し安くして使ってもらおうと思っています。翔子のファンとは違う人たちが、他所から来てくれればいいなと思っています。」
年に何回くらい予定していますか。
泰子「まだ3回しかやっていないですが、理想としては2か月に1回ぐらいできたらいいですね。」
しおりやぽち袋などのグッズも豊富 ©Shoko Kanazawa
翔子さん自身についてはいかがでしょうか。
泰子「翔子は一人暮らしを本当に立派にやりました。今はこの画廊の4階に住んでいます。私は5階です。翔子の一人暮らしに私が参入するのは悪いから、交流はあまりしていません。今後はもうちょっと交流を深めていこうと思っています。実は、翔子に私の介護をさせようかと考えているんです。人のために何かをするのが好きな子ですから。」
障がいのある方は人にお世話してもらうイメージですが、翔子さんは自分で一人暮らしできるようになった。さらに、これからは人をお世話できるようになるわけですね。
泰子「世話をするのが好きな子ですから、介護の勉強に通わせて基本を教えてもらおうと考えています。今でもたまに「ウーバーイーツです」といって自分で作った料理を私に届けてくれています。これをもっともっと増やしていきたいですね。もうちょっと親子の交流を深めて、私の終活として、暮らしの中の美意識を教えなければいけないと考えています。例えば座り方、お掃除の仕方、ものの食べ方などです。美しく生きるには、誇りを持って生きるにはどうするのか。一人暮らしで頑張った分、悪い癖がついたところもあるので変えていかなければいけない。二人でもうちょっと寄り添って、私の介護もしてもらいながら、今までよりも交流を深めていきたいです。」
久が原に住まれるようになったきっかけは何だったでしょうか。
泰子「昔は目黒の高層マンションの最上階に住んでいました。翔子が2、3歳の時、私が少し精神的に参ってしまった時期があって、主人が転地療法ではないですけど引っ越しを勧めてくれたんです。それで久が原に来てみたら、駅に電車がつくと人が溢れて、下町的風情もありました。私がここに決めて引っ越してきました。気が付けば35年過ぎました。」
暮らしてみていかがですか。
翔子「久が原、好き。」
泰子「翔子はすごく天才的に友だちを作って、この街の人たちの心を掴んだ。わずかなお金を握りしめて毎日買い物に行くんですけど、商店街の皆さんも翔子を待っていてくださる。翔子は皆さんに会いたくてお買い物に行って、本当にかわいがってもらっています。翔子が行くと8年間、歌を毎回歌ってくださるお店の方もいらっしゃいます。」
街の皆さんとの交流で、自立できたのですね。
泰子「皆さんが翔子はこういう人間だと理解してくださった。ここでは障がい者も街の一員です。終の住処を久が原に決めたもう一つの理由は、翔子がこの街の地理をよくわかっていることです。近道を知っていて、自転車でどこでも行ける。街角で小学校の同級生にも会えます。今ではみんな子どもさんをお持ちでこの街に暮らしている。やっぱり、離れられない。この街に暮らし続けてよかったなと思います。」
読者の皆さんにメッセージをお願いします。
泰子「画廊・翔子は木曜日以外の11時から夜7時まで、どなたが入っていらしても大丈夫です。気軽にお寄りください。お見えになった方には必ずハガキを1枚差し上げています。翔子がいればその場で書籍にサインもします。翔子はなるべく店内にいるようにしています。翔子用の机を画廊に持ってきました。」
翔子さんが店長さんですか。
翔子「店長さん。」
泰子「2023年9月1日から翔子が店長になります。店長になってパソコンもやるようにします。サインしたり、シュレッダーをかけたり、掃除をしたり。そういう計画です。」
みつばち隊(区民記者)からの質問です。四字熟語辞典をいつも見ていらっしゃるそうですが、何故でしょうか。
泰子「少し前は鉛筆で四字熟語をずっと写していました。今は般若心経を書き始めました。鉛筆で漢字を書きたいのかなと思います。四字熟語も般若心経も漢字がいっぱい並んでいますから。」
漢字がお好きですか。
翔子「漢字好き。」
泰子「漢字は龍なら龍の形が好きなんですよね。辞書がボロボロになるまで書いていました。書くことが好きなんです。今は般若心経です。」
般若心経の魅力は何ですか。
翔子「心を込めて書くんです。」
ありがとうございます。
観客の前で書を披露する翔子さん
東京生まれ。伊勢神宮や東大寺をはじめ日本を代表する神社仏閣で奉納揮毫や個展を開催。愛媛県美術館や福岡県立美術館、上野の森美術館、森アーツセンターギャラリーなど有名美術館で個展。アメリカ、イギリス、チェコ、シンガポール、ドバイ、ロシアなどで個展を開催する。NHK大河ドラマ「平清盛」揮毫。国体の開会式や天皇の御製を揮毫。東京2020オリンピック公式アートポスター制作。紺綬褒章受章。日本福祉大学客員准教授。文部科学省スペシャルサポート大使。
久が原在住の落語愛好家たちが集まって生まれた大田区久が原落語友の会「くがらく」。2013年11月から2023年11月までの10年間で21回の公演を行なってきました。代表の新免さんにお話を伺いました。
「くがらく」お馴染み松の幕を背にしてに立つ新免さん
「くがらく」の設立はいつでしょうか。
「2016年、平成28年になります。」
始められたきっかけをお教えください。
「設立の1年ほど前に病気を患いまして、とても気分が落ち込んでいました。その時に、職場の先輩が『落語を聴きに行かない? 元気になるわよ』と声をかけてくださった。それが私の初めての落語体験です。聴きに行きましたら、嫌なことを忘れて心から笑うことができた。『わぁ、落語って楽しいな』と思いました。その後、数多くの落語会や寄席に足を運びました。都心では色々な会が開催されていますが、久が原では気楽に生の落語を聴く機会がなかなかありませんでした。お子さんとかお年寄りとか様々な方に落語と出会っていただいて、少しでも笑顔になってもらえたらと考え、会を始めました。」
会の名前についてお話ししていただけますか。
「久が原の落語会という地名が由来であることと、『落語を聴いて、苦が楽になる。笑って日々を過ごしていただきたい』との願いを込めて『くがらく』と命名しました。」
新免さんが初めて落語と出会われた時の思いが、そのまま名前になったのですね。
「地元の方に楽しい落語を届けたい。笑って欲しい。笑顔になって欲しいという思いです。生の落語、話芸の面白さを知って欲しいっていうことですね。くがらくでは、公演の前に噺家さんへインタビューしまして、落語に対する思いや人となり、用語の解説をホームページに掲載しています。初めての方でも分かりやすいとお褒めの言葉を頂戴しています。後は、『くがらく』をきっかけにして、皆さんに街に出てもらいたいと思っています。他所の街から来る方には、大田区久が原を知っていただくことになればと思っています。」
第5回 春風亭昇也さん/現春風亭昇也師匠(2016年)
演者を選ぶのは誰ですか、その基準はなんでしょうか。
「演者さんを決めるのは私です。ピンと来たらじゃないですけど、その方が『くがらく』で喋っている姿、『くがらく』のお客さんが笑っている姿を想像できる人にご出演をお願いしています。そのために色んな落語会や寄席に足を運んでいます。」
年にどれくらいのペースで通われているのでしょうか。
「結構行っていますね。コロナ前は月に7回も8回も行く感じでした。」
え、週2ペースじゃないですか。
「この方はと思う方に出会えるように通っています。もちろん、ただ出てくださる方を探すために見に行くわけではありません。楽しむために行っています。」
新免さんにとっての落語の魅力は何でしょうか。
「落語は耳でも楽しめますし、目でも楽しめます。私は生で繰り広げられる落語の世界の中によく入ってしまうんですね。例えば、私自身が長屋の部屋に居て、熊さんと八っつぁんがしゃべっている話を聞いているような感覚です。『落語って難しくない?』とよく聞かれます。そんな時、私は『絵本の昔話を読み聞かせてもらうと思って来てみてください』とお誘いしています。落語はテレビでも配信でも見られますけど、やはり生は別物です。枕といって本題の前に、世間話とか落語家さんの体験談などを話してくださいます。そのお話をしながら、『今日のお客さんはこのくらいの年代の方が多いんだ、お子さんもいるぞ、こういう話でどっとわくな』とかその日のお客さんの反応を見て、それで何百とある引き出しの中から『じゃあ今日はこのお話にしよう』と演目を決めてらっしゃる。本当に今ここにいるお客さんのための芸能だと感じます。だからこそ一体感が生まれて、何て楽しい場なんだと思います。」
第20回 柳亭こみち師匠 (2020年)
お客さんはどんな方が多いのでしょうか。
「40代から60代の方が多いです。常連の方6割、新規の方4割。やっぱり大田区の方が多いですが、SNSで情報発信していますので、埼玉や千葉や静岡とか遠方の方もいらっしゃいます。一度、東京に来る用事があるからと、四国の方からもお問い合わせがありました。嬉しかったですね。」
お客さんの反応はいかがでしょうか。
「公演の後、アンケートをいただいています。皆さん一生懸命書いてくださって、回収率もとても高い。100%に近い回収率です。『照明はこうだったね』とか、すごく参考になることを書いていただける。その度、会のみんなで反省会をして、『じゃあ、ここはこういうふうに改善してみよう』とやっています。概ね皆さんに喜んでいただいています。次回の噺家さんの名前を言っただけで、皆さま次の予約をしてくださる。自分で言うのは恥ずかしいですが、『新免さんが選ぶのだったら楽しいに違いない』とおっしゃってくださる。何てありがたいんだろうと思っています。」
落語家さんの反響はいかがですか。
「『くがらく』のお客さんは皆さんマナーがいいんです。ゴミも落ちていないし、何より皆さんよく笑ってくださる。噺家さんもすごく喜んでくださっています。私の中ではお客さんと演者さんは同じくらい大切です。どちらも大事にしたいので、噺家さんに喜んでいただくと、こんなにうれしいことはありません。うちのような小さな会にご出演くださって、本当にありがたいという思いがあります。」
会を続けることで会員の皆さんや地域の皆さんの変化はありましたか。
「落語は楽しいものだと理解いただける人がちょっとずつ増えていると思います。あと、『くがらく』でしか会わない方もたくさんいらっしゃるんですね。人と人とのつながりというか、噺家さんもそうですし、お客さまもそうです。一期一会の皆さんとのつながりをひしひしと感じています。」
落語会だけでなく様々な冊子を作っていらっしゃいますね。
「2018年ですけど、大田区の区内の落語会の地図を作りました。その頃はちょっと野望がありまして(笑)、大田区の落語会をすべてまとめて、大田区落語祭りができないかなと思ったことがあったんですね。」
できると思いますよ、野望じゃなくて。
「そうですか。本当にもう、実現するのでしたら力を惜しみません。」
落語家さんの系図も作られていますね。
「毎回公演ごとにその時出演された方の系図をお渡ししています。時代をたどると人間国宝だったり色んな噺家さんがいらっしゃる。興味が尽きません。」
大田区落語会地図(2018年10月時点のものです)
落語家家系図
最後に読者の皆さんにメッセージをお願いします。
「落語は座布団1枚で繰り広げられる本当に素晴らしい話芸です。一人でも多くの方に聴いてもらいたい。笑いは免疫力をアップしてくれます。落語を聴いて健康になっていただきたい。大田区内でも大田区外でもいいので落語を聴きに行って、いろんなところに出かけるきっかけになればとも思っています。皆さん『くがらく』へ、落語会・寄席へ、どうぞお出かけください。」
約4年ぶりに開催された第21回 春風亭一蔵師匠 (2023年)のチラシ
マスコットの招き猫
大田区久が原落語友の会「くがらく」代表。2012年、病気で気分が落ち込んでいる時に、職場の先輩に誘われ生の落語を体験する。落語の魅力に目覚め、翌年2013年に大田区久が原落語友の会「くがらく」を立ち上げる。以来、2023年11月までの10年間で21回の公演を開催する。次回開催は2024年5月の予定。
メール:rakugo@miura-re-design.com
今号で取り上げた冬のアートイベント&アートスポットをご紹介します。ご近所はもちろん、アートを求めてちょっと遠出をしてみてはいかがでしょうか。
最新情報は、各問合せ先にてご確認頂きますようお願い申し上げます。
(写真はイメージ)
日時 |
2月10日(土)~3月3日(日) 9:00-16:30(入館は16:00まで) 休館:毎週月曜(2月12日(月・祝)は開館し、2月13日(火)に休館) |
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場所 | 大田区立龍子記念館 (東京都大田区中央4-2-1) |
料金 | 一般200円、中学生以下100円 ※65歳以上(要証明)、未就学児及び障がい者手帳等をお持ちの方とその介護者1名は無料 |
主催・問合せ | (公財)大田区文化振興協会 03-3772-0680 |
当日の様子
池めし
日時 | |
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場所 | 南之院駐車場 (東京都大田区池上2-11-5) ※紙面で未定となっておりました、池上梅園前駐車場での実施はございません。 |
主催・問合せ |
池上地区まちおこしの会 ikemachi146@gmail.com |
公益財団法人大田区文化振興協会 文化芸術振興課 広報・広聴担当