

広報・情報紙
本ウェブサイト(以下「本サイト」といいます)では、お客様の本サイトの利用の向上、アクセス履歴に基づく広告、本サイトの利用状況の把握等の目的で、クッキー、タグ等の技術を使用します。「同意する」ボタンや本サイトをクリックすることで、上記の目的のためにクッキーを使用すること、また、皆様のデータを提携先や委託先と共有することに同意いただいたものとみなします。個人情報の取扱いについては、大田区文化振興協会プライバシーポリシーをご参照ください。


広報・情報紙
2026/7/1発行
大田区文化芸術情報紙『ART bee HIVE』は、2019年秋から大田区文化振興協会が新しく発行した、地域の文化・芸術情報を盛り込んだ季刊情報紙です。
「BEE HIVE」とは、ハチの巣の意味。公募で集まった区民記者「みつばち隊」と一緒に、アートな情報を集めて皆様へお届けします!
「+ bee!」では、紙面で紹介しきれなかった情報を掲載していきます。
アートな場所:中央スタジオ arts & crafts + bee!
作品『夢花火』の前に立つ高頭さん。大田区立馬込アートギャラリーにて ⒸKAZNIKI
新井宿(現中央1丁目周辺)出身の日本画家・高頭信子さん。戦後すぐの1948(昭和23)年、女子美術専門学校(現女子美術大学)在学中に川端龍子*に師事し、96歳となる現在も精力的に活動されています。
アートとの出会いについてお教えください。
「私はいつも思うのですが、こどもがクレヨンを握るようになって落書きを始める、それが芸術・絵画の始まりだと考えています。大人が『ちゃんとした形の絵を描きなさい』と言って、せっかくのこどものいい才能を折ってしまうのです。もったいないなといつも考えています。それが基本です。」
何か外のものとの出会いではなく、自身の内側から出てくるものということでしょうか。
「そうです。それが基本です。私の場合は3歳の頃でした。」
日本画との出会いはいかがでしょうか。
「日本画との出会いは女子美の在学中です。1年生の頃はみんなが石膏デッサンなどをして、2年生になると日本画か洋画を選びます。始めは洋画に行くつもりだったのですが、その頃ちょうど友だちが青龍展*の話をしてくれました。残念ながら、その年の青龍展はもう終わっていて観ることができませんでした。それで雑誌で川端先生の『朝陽来』という作品に出会いました。万里の長城を描いた作品です。万里の長城というと下から見上げた絵が普通です。それを先生は上から俯瞰した視点で描かれていた。こういう描き方をする人がいるのだと、夢中になってしまった。山と山の間に朝日が書いてある。こういう描き方をするから『朝陽来』なんだ、万里なんだと友だちに一生懸命説明した記憶があります。もう絶対私の先生は川端先生だと思いました。」
川端先生も新井宿で、本当にご縁ですね。
「そうなんです。先生の住所が新井宿だと知ってびっくりしました。意外に近いので、しょっちゅう先生の家の前をウロウロしていました。たまにお弟子さんが絵を巻いたものを持って歩いていらして、うらやましい気持ちで眺めていました(笑)。」
それで川端先生の門を叩かれたのですか。
「翌年の青龍展に駆けつけました。展覧会の事務所に『この絵に感動する人。若人は門を叩きなさい』という貼り紙があったんです。当時の私はまだこどもですから、門をたたく勇気は出なかった。それでも毎日毎日青龍展に通いました。3年生になった時、『今やらなかったら本当に駄目だ』と思って、青龍展の事務所に入っていったんです。その時の事務所には川端先生はいらっしゃらないで、塾頭の加納三楽輝*先生がいらした。自分の気持ちをお話ししたら、『女子美を卒業してからいらっしゃい』とおっしゃたのですが、『もう待っていられない』と答えました。それで『しょうがないな』って、加納先生が『先生に手紙を書きなさい』とおっしゃいました。」
川端先生に初めてお会いした時はどんな印象を持たれましたか。
「9月に手紙を書いて持って行きました。それが先生のところへ届いたか分からないですが、何の連絡もありません。ある日、突然『11月14日に弟子たちが集まるから作品を持って来なさい』と連絡がありました。それで今公開されている龍子記念館の前にある先生の画室に行きました。『これから一生懸命勉強します。よろしくお願いします』と挨拶したら『みんな初めはそう言うんだよ。だけどダメなんだ』とおっしゃって、『まぁ、男になったつもりでやりなさい』とおっしゃってくださいました(笑)。
画室では男性でも女性でも板の間に正座です。先生は私が正座するのが初めてじゃないかと思ったらしくて、『ちょっと足が痛いだろうけど我慢してね』とおっしゃいました。ずいぶん優しい先生だなと思ったのですが、とんでもないことでした(笑)。でも、その時、そうおっしゃったのを今でも覚えています。」
修行時代の思い出についてお教えください。
「まずは花の写生です。10日に1回ずつ青龍社の研修会がありました。それに間に合うように、描いていかなければならない。雨の日も雪の日も外で描かなくては間に合わない。花の写生はあんまり好きじゃないんです。本当は好きな風景が描きたかった。それでも先生はこれが基礎になるから、勉強だっておっしゃる。私にしてみたら、基礎(基礎工事)ばっかりしていて、家が建つ前に死んじゃうのではないかと本気でそう思ってました(笑)。今考えてもあんなに勉強したのはあの時だけです。風景画だって、あんなには勉強しなかった。それで、絵を持って行くと毎回毎回叱られて叱られて、研修会の日は泣く日と決めていたくらいです(笑)。
ある時、聖護院蕪をザルに入れたものを写生して、自分でも細かくちゃんと描けたので、褒めてもらおうとは思わないけど、これなら泣くことはないと思っていたら、『細かい仕事は男に限る。縫い物にしても、料理にしても、細くて成功しているのはみんな男だ。女が細かい絵を描いて時間をつぶしていたらもったいない』とおっしゃった。ああ、これもいけないのかと思って、ますます風景に行きたいと思ったわけです(笑)。」
高頭さんの創作におけるコンセプト・テーマについてお教えください。
「自分は風景が描きたかったんです。“気”ですね、雲や波だけではなくて、何もないような原っぱでもそこにどういう“気”が立ち昇るか、それを見つけるのが楽しい。」
それは絵を始められた当初からですか。
「ちょっとそういう気配があったらしくて、先生はその人によって教え方が全然違いました。例えば、私が富士山の絵を描くと、当たり前ですが、富士山は富士山の形を描きます。すると、先生は『富士山の向こうが見えない』とおっしゃる。一言だけなのですが、それでもう何回持っていっても、『富士山の向こうが見えない』。私も19歳ぐらいだったので、『富士山の向こうって何だろう』とずっと考え続けていました。先生が亡くなった頃になって、『あ、それは富士山の心じゃないか』というのがやっと分かった。40歳を過ぎてからのことです。先生は私に“形や色ではない、もっと大事なものがある。それを描くことが絵だ”と教えてくださったんです。それはそのものが持っている“気”ですね。魂が描けたら素晴らしいのですが、まだそこまで行かないです(笑)。」
お伺いしていると川端先生のご指導法は、高頭さんがお相手だからだからなのかもしれないですが、何か禅問答のようですね。
「先生が『高頭君も絵描きだったら絵を描いている時に、気配というのを感じるだろう』とおっしゃるのです。それがなかなか分からない。例え、頭でわかってもそれを描く・表現が難しい。今頃になって、私の絵を観た方が『ちょっとこの絵は気配を感じる』なんて、言ってくださることがあります。やっと先生のおっしゃったことが表現できたと喜んでいます。
先生は入門当時から、『あなたは原っぱみたいなところで・・・大体戦前の新井宿はそうなんですけど・・・育っているから、何もない原っぱに何かの気配を感じさせる絵を描きなさい』とおっしゃった。先生は私が将来こういう具合に絵を描いてくだろうというのが、私が90歳を過ぎてからの絵が分かっていて、教えてくださったのだと思います。一生の宿題です。」
1966(昭和41)年に東欧へ短期留学されていますね。
「小さい時からアンデルセンなどの海外童話の世界が大好きでした。当時、大森めぐみ教会の幼稚園の馬車がこどもたちを乗せて、原っぱの真ん中を帰ってくるんです。それを見るのが楽しみでした。私は童話みたいな環境の中で育ちましたから、ヨーロッパに行ったら我が家へ戻ってきたような感じがしました。プラハでは形で童話を描いているのではなくて、自分が童話の世界に入り込んで描けたのです。こどもの心が絵の中に出てきました。こどもというと普通は児童画になってしまう。私は、大人の日本画の中にこどもの心を入れたいと思いずっと描いています。」
今後の予定についてお教えください。
「私にとって、来年はとても大事な年です。この道一筋80年、女子美に入ってからちょうど80年になります。先生に師事したのはちょっと後、2年遅れるのですが、この道一筋78年ですか(笑)。来年の2月に龍子記念館で個展を開きます。回顧展といいますか、青龍展の最初の作品から、現在に至るまでの変化が分かるような展覧会にしたいと思っています。東方美術協会*の東方展*も来年60周年を迎えます。こちらは2月にアプリコで開催の予定です。よろしくお願いします。」
*青龍展:日本画家・川端龍子が主宰した美術団体「青龍社」(1929年創立)が開催した展覧会。1929年に東京府美術館(現在の東京都美術館)で第1回「青龍展」が開催された。戦時中も毎年開催され、1965年の第37回展まで続いた。龍子の死去に伴い、1966年に青龍社は解散した。
*川端龍子:日本画家、俳人。1885-1966。当時の日本画壇では、個人が小さな空間で絵を鑑賞する「床の間芸術」と呼ばれるものが主流であった。従来の日本画の枠にとらわれず、大画面で力強い作品を制作し、「会場芸術」という概念を提唱した。1929年に「青龍社」を結成する。
*加納三楽輝:日本画家。兵庫県有馬町生まれ。1898-1981。京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)中退。1928年第15回院展に初入選。1929年川端龍子に師事。
*東方美術協会:1966年4月に川端龍子が亡くなり龍子の遺志を継ぎ、元青龍社社人の11人によって設立。現在も活動を続けている。
*東方展:東方美術協会による展覧会。2027年に第60回東方展を大田区民ホール・アプリコにて開催予定。
ⒸKAZNIKI
1929年生まれ。女子美術専門学校(現女子美術大学)在学中から川端龍子に師事。元青龍社社友。元東京学芸大学非常勤講師、聖徳短期大学非常勤講師。現在、東方美術協会会員、大田区美術家協会名誉会長、詩絵留葉の会(日本画教室)主宰。2010年作品集『道一筋』刊行。2025年「六十年前の東欧みやげ話」刊行。
東急バス・入新井第四小学校バス停と池上営業所バス停の中間、池上通り沿いにあるのが2022年にオープンした「中央スタジオ arts & crafts」です。複数のアーティストが制作をするアトリエであり、ワークショップを企画・開催するスタジオでもあり、そして、こどものための絵画・造形教室を開室しています。様々な年代の人が集う「創作の場」です。中心メンバーでアーティストの河合加奈子さんにお話を伺いました。
アーティストのオーラを感じるスタジオ内部
オープンのきっかけをお教えください。
「私たちは、それぞれが個々に作家活動をしていましたが、2021年に群馬県の中之条町で開催された国際現代芸術祭『中之条ビエンナーレ2021』において共同で作品を発表しました。その時の仲間が集まって中央スタジオをスタートさせました。」
現在、参加されているアーティストの方は何人ですか。
「中之条ビエンナーレに出品した作品が大作だったので、展示の作業をする人だけでも数10人はいました。そのほか、資料を作る人たちを含めると、たくさんと表現した方がよいのかな。みんなが定期メンバーかということではなく、ある時にはいなくなるし、こんなことをしてみたい! と言ったらまた集まってくれる。そういう感じです。主となるメンバーはいますが、ヒエラルキーは無くて、人との繋がりで声をかけ、様々なジャンルの方が参加しています。美術に携わっている作家はもちろん、カメラマン、デザイナーなど、メンバーの友人まで幅を広げると、その輪はどんどん広がっていきます。」
入り口でお花たちがお出迎え
その作品が実存『1194』ですね。
「たくさんの足が在る。その足は『自分の足』。一つ一つ違う人が作り、それを展示する。そんな漠然とした発想から、作品制作はスタートしていきます。たくさんとした数を『1,000個』と想定し、具体的に考えることから始めていきました。多くの方との出会いを予感しました。皆さんに想いを伝え、発想を形にするには、メッセージが必要だと考え、こどもは未来を、大人は過去を振り返りながら 『自分の足』を作るというコンセプトの元、木材や紙粘土を使用して作品を作ってもらいました。最終的には約1,300個の作品が集まり、展示会場の壁には制作してくれた人たち、一人ひとりの写真を掲示しました。大切にした部分は、自分の身体を改めて見つめながら『今の自分』が経過していく、そして経過してきた時間を想いながら制作すること。『今の自分が在る』。これは決して当たり前ではないと思っています。」
すごい数ですね。どのようにして制作したのですか。
「企画書を作って知り合いに投げかけていくことから始めていきました。やる気満々だったので、日本各地にワークショップを開きに行こうかと思っていたのですが、コロナが広がり、地域を自由に行き来できなくなっていました。そこでまずは知り合いの絵画教室などを点々とワークショップを行なっていきました。次第に興味を持ってくれる人たちが増え、興味を持った人が学校の校長先生を紹介してくれたりして(笑)。小、中、養護学校の図工の授業や、こども園での制作の時間、高校の美術部が参加してくれたりもしました。一方で、コロナでワークショップを開催できない地域には、興味を持ってくれた家庭に『足作りのキット』を郵送し、作り終わったら、送り返してもらうということを続け、一つ一つを少しずつ集めていきました。北海道までは広がりませんでしたが、青森から沖縄まで伝わり、各地から、足が入ったダンボールが毎日のように届き、次第に私達の居場所がなくなっていきました(笑)。」
期間はどのくらいかかりましたか。
「2020年に始めるのですが、1年ほどかけて集めました。」
基本的な質問ですが、なぜ「足」なのでしょうか。
「日頃、自分の顔はよく見るけど、足をじっくり見たことなかったという人が多かったですね。足という具体物があると、『何故、足なのですか? 何故、手ではないのですか?』とよく聞かれました。そういうご質問には、直ぐには答えたくないというのが本音です。まずは直感で心を動かして欲しいです。何故という質問には、無数の答えがあると思います。何故だろうと思えたのなら、自分で考えて、こういうことかなと想像する方が面白いですし、私たちの答えより、的を得ている答えが出てくるかもしれません。それくらい自由であってよいと思っています。」
参加された方たちのリアクションはいかがでしたか。
「ワークショップを行なって思ったのは、作品を作っている時の皆さんは、夢中になっていましたし、とても楽しそうでした。作るという作業が人の心を夢中にさせるのだと、改めて思いました。ご家族で参加された方は、親子で一緒に作った経験が貴重で良かったそうです。会話をしながら、何かを一緒に作るということはなかなかないと。お子さんたちの反応として笑ったのは、あれ? いつも威張っているのに、意外と作るのは私の方が上手だったと。そんなご感想も届きました。」
共同作業をされて、中央スタジオの開設につながったわけですが、実存『1194』で何を発見したのですか。
「それぞれ独自の色を持っている人たちが一つのプロジェクトに向かって集まると、すごいカになると感じました。共同作業ならではです。互いの意見を伝え合い、大きな方向に向かうのは、とてもワクワクしましたし、決して1人ではできない経験でしたね。そして、何より楽しかったです。」
実存『1194』(中之条ビエンナーレ2021)
中央スタジオの現在の活動についてお教えください。
「ここは作家のアトリエであり、一般の方を対象にしたワークショップを行う場所にもなります。私も作品を作る時はスタジオとして使っています。ワークショップは定期的に行なっていて、造形教室の講師である張子作家のワークショップやスタジオに常設しているプレス機のワークショップを開催しました。また、『哲学対話』という、日頃の疑問について、問いを出し合い、本日の問いを決めて、互いの言葉を聞き、みんなで考えるというワークショップも行いました。その際は、様々なジャンルの方々が集まり、スタジオも熱気を帯びていました。集まる人が変われば、スタジオの雰囲気も変わる。そういう感じの場所ですね。」
造形教室を開いていらっしゃいますね。
「小学1年生からが対象です。水・土曜日クラスがあります。私は以前、10年間ほど保育士をしていました。私自身もこどもがいますから、お母さん的な感じで接しています。水・土曜日クラス共に、いろんな素材や工作道具を使います。みんな開室時間前から来て、終了時間になってもなかなか帰らない。カリキュラムはなく、こども自身が自分の作りたいものを作るのが基本です。油絵を描いている子もいれば、紙粘土をこねている子もいる。その時の気持ちで自分がやりたいことをする、自分の時間ですからね。それを大切にしたいです。講師の私たちは、こどもたちがやりたいことに対して、『こうしたら面白いんじゃないの』、『これを使ってみようよ』とこどもの好奇心をくすぐり、手助けをしながら、一緒に手を動かしています。」
こどもたちにはどんな体験をしてもらいたいですか。
「自分で好きなことをするとは、自分で考えるということ。こんな物を作りたい! 描きたい!! とこども自身が自分で考え、自由に発想し、それを形にしていく楽しさを、心が柔軟な時期にたくさん経験して欲しいと思っています。こどもたちと接していて思うのは、大きくなってからでもいいから、ここでの体験を思い出してもらえたら嬉しい。ものづくりをとおしての体験が、これからを生きていく時の発想のヒントになれば嬉しいです。発想豊かに様々に考えられること。それはただ教え込まれているだけの一方的な時間では生み出されにくい心の動きだと思っています。」
造形教室をすることで、河合さんご自身何か発見はありましたか。
「毎回、夢中に作業しているこどもたちと関わっていると、自然と一緒になって手を動かしている自分がいます。夢中になり、それだけができる時間を見つけた。私は、ものづくりが大好きな人だということを再発見した感じです。小さい頃から変わっていません。夢中になれるって楽しいよね。大人もこどもも一緒だよという感じですかね(笑)。」
自由かつ黙々と制作する造形教室のこどもたち
中央スタジオのこだわり・コンセプトについてお教えください。
「場所があると人は集まってくるものですが、ただ作家が集まっているだけの空間では意味がない。どんな人たちが集まるかが大切です。個々の作家に魅力があること。魅力とは、精力的に活動しているということです。しっかりした個が集まるから、自然と面白いことが生まれてくるのだと思っています。」
最後に読者の皆さんにメッセージをお願いします。
「大田区で実存プロジェクトを実現するために動き始めています。数年にかけて、大田区全ての小学校・中学校をワークショップで回る規模を想定しています。思いは強いです。まずは、実存プロジェクトについて知って欲しいので、資料を持ってどこへでも行きます。大田区中央にスタジオがあるから、来てほしいということではなくて、私たちが出向きます。学校関係の方だけではなく、個人の方でも。興味のある方は、ぜひご連絡ください。」
実存『1194』の足を持つ河合さん
今号の紙面で取り上げた夏のアートイベント&アートスポットをご紹介します。ご近所はもちろん、アートを求めてちょっと遠出をしてみてはいかがでしょうか。
最新情報は、各問合せ先にてご確認頂きますようお願い申し上げます。
駅構内や車両を日本の芸術/文化を体感できる空間へと彩る。
東京モノレールが取り組む「TOKYO ART&CULTURE」をご紹介します。
東京パノラマライン(東京モノレール)では、インパクトのある漫画描写でダイナミックに描く絵画で定評のある Hogalee氏によるアート展開で彩ったデザイントレインを運行しています。ぜひご乗車ください!

| 日時 | 運行中 |
|---|---|
| 問合せ |
東京モノレール |
東京パノラマライン羽田空港第3ターミナル駅に、東日本エリアの祭りを体感できる「没入型トリックアート」、改札前には祭りのイラストやロゴが描かれたアート空間が登場しました。羽田空港で、日本の祭り文化をぜひご体感ください。
| 日時 | 開催中~当分の間 |
|---|---|
| 問合せ |
東京モノレール |
公益財団法人大田区文化振興協会 文化芸術振興課 広報担当
![]()