お知らせ&トピックス

『尾﨑士郎記念館版記念館ノート』第3号に関するお詫びと訂正

2019/06/28その他(お知らせ&トピックス)_尾﨑士郎記念館

お詫びと訂正

『大田区立尾﨑士郎記念館版記念館ノート』第
3号につきまして、事実誤認が見つかりましたので、謹んでお詫び申し上げ、ここに訂正をいたします。

表面「とっておきの一枚!」解説
このころ、馬込文士を主なメンバーに「新興芸術派倶楽部」が結成され、この3人が中心となって活躍した。
徳島日日新報主催の文藝講演会(426日開催)で徳島小松島埠頭に来着した3人。このころ、『没落時代』(尾﨑士郎主宰。創刊号のみ)や「十三人倶楽部」(中心人物・中村武羅夫)など幾つか同人雑誌の創刊や親睦団体の結成に3人が関わり、以後交流が長く続いた。
※(理由)川端は「新興芸術派倶楽部」に参加していないため。

裏面「一 尾﨑と川端の少年時代」
25行目
二歳に満たない~/四歳に満たない~

27行目
誤 
 
薬局「川端青龍堂」を営み、官許を得て新漢方の開発・製造なども行っていたので、裕福な暮らしを営んでいた。しかし、康成の生活が落ち着いたのもつかの間、
「川端青龍堂」と称して、官許を得て新漢方の開発・製造なども行っていた。三八郎が茨木市宿久庄に家を建てて、三人暮らしを始めたが、

29行目
一九〇九年に祖母が、翌年には康成と四歳違いで唯一の姉・芳子がこの世を去ってしまった。
一九〇六年康成が八歳の頃、カネがこの世を去った。続いて、一九〇九年には康成と四歳違いで、叔母の嫁ぎ先で暮らしていた姉・芳子がこの世を去ってしまった。

31行目
誤 
一九一二年、康成が十五歳の時、遂に祖父が逝去し、康成は身寄りを失った。
正 
一九一四年、康成が十五歳の時、祖父が逝去し、遂に康成は身寄りを失った。

「二 馬込文士村での交友」
21行目 誤
杉並区阿佐ヶ谷/ 杉並区高円寺北

写真解説
一九六四年二月二〇日、尾﨑に焼香する川端。後に、『尾﨑士郎全集』(講談社)をまとめた。
尾﨑の祭壇に焼香する川端。尾﨑の没後、川端が中心となって『尾﨑士郎全集』(講談社)をまとめた。
※(理由)具体的な日付を特定するにいたらなかったため。

以上を反映し『尾﨑士郎記念館版記念館ノート』3号改訂版をホームページ上に公開しました。
今回の誤認により関係者各位にご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでした。
深くお詫び申し上げます。